「人の振り見て我が振り直せ」という慣用句が示す「人の振り」は、必ずしも悪いものではないようです。善悪を問わず、他者の言動に思うところがあれば自分の行いに生かせと、そういうメッセージが込められています。
けれど近い匂いの「反面教師」では、悪い見本を提示してくれる人を教師にたとえます。僕はこの二つの言葉がセットになりがちなので、「人の振り見て、だよなあ」と感じ入るのは、他者を真似たくない場面に遭遇したときが多くなります。さて……。
職業柄、人との接触が限定的なので、一般的な企業にお勤めの方より、我が振り直したくなるような反面教師との出会いが少ないと思います。そこにフォーカスすると、ある意味では機会損失と言えるのかもしれません。それはつまり、人の振りを見なければ我が振りも直せなくなるということだから、どんどん頑固で傲慢な人間になるやもしれず。これはちょっと心配。
その不安をいくらか和らげてくれるのが、相応に人との触れ合いがある、いわゆるプライベートです。そこには可能な限りしがらみ関連を持ち込まないので、できれば常に楽しい気分を味わいたい。もしも違う気分を漂わす者がいたなら、近寄らなければいい。それが許されるのはプライベートの特権です。
しかし、時に楽しい輪の中に反面教師が現れたりします。先生っぽい傾向は日頃から感じ取れていたものの、このタイミングで教壇に立たなくても、という感じでしょうか。当人に教師の意識があるかどうかは、実はあまり意味がないのかもしれません。その言動を教鞭と捉えるかは、あくまで個々の感じ方次第ですから。
あるいは反面教師になってしまう人は、他の場面で自分の言動に問題を感じた覚えがないか、もともと他者の振舞いがまるで気にならず、反面教師を必要としないタイプなのかもしれません。
そうだとしたら、なかなかもったいなあと思います。なぜなら生徒になる僕は、反面教師によっていい人になっていけるから。であれば、いつかお礼をしなきゃいけないですね。あなたの不愉快な発言や態度のおかげで、僕はそうならずに済みましたと。
いやいや、極めつけの嫌味になるから口に出しません。というか、少なくとも僕にとっては善の反面に値する言動を取る人になるので、少しずつ距離を取っていくことになるでしょう。
果たしてそれでいいのか? 反面教師は多いほうがいいのか、少なくていいのか。よくわからないな。どっちでしょうね。

お礼の品としてミスド20個購入。全部違うドーナツなのに、全名称を復唱してレジを打ったスタッフに感心しました。意地悪で全部変えたわけじゃないんだよ。
