科学的とはどういうことか、二つの特徴で説明できるそうです。一つは、いつどこで誰が試しても、同じ方法なら同じ結果にたどり着く再現性を有していること。もう一つは、原因と結果に正しい因果関係があること。なるほど。そうした実証的で論理的なものは、僕らの生活を成立させるための重要な拠り所になるのでしょう。原稿を書く上でも、秩序をもって事実を並べないと伝わらないし。
けれど、この世のすべては科学的なのだろうか。などと首を傾げたら、科学に人生を捧げる学者は呆れ返るかもしれません。そんな態度を示しそうなのは、おそらく科学的の対義語が曖昧だからではないでしょうか。
感覚的。直感的。または非科学的。以上が対になる言葉として紹介されています。科学者なら、感覚も直感も事実に基づいて説明できそうですよね。であれば、科学的に論理的な対義語はないことになり、ゆえに科学は絶対と言い切れるのかもしれません。ふむ。
このまま論破されるのも悔しいので、科学の対義語を模索してみたのですが、これがまた無茶に感じる言葉が多かった。魔法。スピリチュアル。迷信……。科学者が鼻を鳴らす音が聞こえてきそうだな。
しかし、理知的な表情を崩さない専門家に白衣を翻されようとも、個人の領域には自分だけの科学が存在してもいいと思うのです。たとえば昨年の2月4日、僕が1本の素晴らしいギターと出会ってしまった理由には、長い時間を証明材料とする因果関係があります。そのギターを手に入れたことで、最初に憧れのギターを買ったときと同様、皆を巻き込んで何か(1本目は書下ろし文庫の出版。2本目は音楽会的催し)を企てたことにも、ある種の再現性があるかもしれない。そしてまた昨年の例で言えば、その日が古い暦で1年の始まりとなる立春だったなら、そりゃ何かしらの化学反応を予感するじゃないですか。偶然に留まらない意味がありそうな気がして。
いやいや、苦しいな。僕の話が科学に寄り添うのは。でも、推測の可能性や淡い期待や、ないしは夢といった個人的な物語は、他の誰かに共感される場合もあります。それを文学的と呼んでいいなら、科学的と並び立つものとして認めたい。ただの物書きのあがきや言い訳であっても。
え~と、今日の立春。あなたにも素敵な物語の始まりが訪れたらいいと、そうお伝えしたかっただけです。

年が明けても都会は、クリスマスっぽいムードが好きみたい。浮かれたいのかな。
