「人間の集中力は何分くらい持続できるか?」という問いで検索してみると、50分だとか90分だとか、あるいは25分とか、いろんな答えが返ってきます。それらは主に、学校の授業やデスクワークを分析した結果みたいです。いずれにしても持続には限界があるので、然るべき休息を定期的に設けると、1日の中でよりよい勉強や仕事ができる時間が増えるらしいんですね。
その点は納得できます。原稿書きはデスクワークの見本のような仕事ですが、確かに90分あたりで自然と集中力の谷を迎える感じがあります。けれど経験とは便利なもので、そういう避け難い停滞の谷に差し掛かることを承知しているから、特に仕事の総量が多い場合は、可能な限り集中力の起伏をつくらないコントロールができるようになっています。一種の慣れとして。
だから「人間の集中力は何分くらい持続できるか?」は、今の僕にとって正しい問いではなかった。欲しい解は「集中の仕方」や「集中するためのスイッチ」でした。これも様々な方法が紹介されていますが、集中するための癖や習慣、いわゆるルーティンをつくるのがよいという回答が目につきました。「それも知っているなあ」でした。
となればオレは何をたずねたかったのか? 実は最初からわかっていました。「集中できなかった理由」です。そんなの、誰に聞いたって「知るか!」ですよね。
集中しなければならない場面ゆえ、集中力を高めて臨もうとしているのに、なぜかほわんととしたまま時が過ぎていく。それがどんな場面かというと、野球でバッターボックスに立ったとき。あるいは、人前で演奏するときです。多くの人にとって経験する必要のないシーンですから、「何だそれ?」とツッコまれるでしょうが、僕にしても非日常的な局面なので心身ともに緊張します。それを乗り越えていくのが集中力だと信じ込んでいるのだけど、集中しようと思うほどに集中力に酔うみたいなんですよね。それで却って体の動きがおかしくなる……。
集中力が皆無ではないはずだから、困っています。原因はおそらく、緊張を集中力で制御する場数の乏しさ。そしてまた原稿書きで培ったものとは異なる集中力が、野球や演奏には不可欠なのでしょう。何事も経験と納得しようとして、すでに先月となった音楽会的イベントの不出来さをまだ飲み込めずにいます。グズグズすることには集中力が保てるなんて、嫌な性分だよな。

予報通り、降ってきた。
