言えば言うほど

「大人の条件」のひとつは、「余計なことを言わない」ことだと思っています。それは、「口は災いの元」をよくよく知っているから。いやまったく、自分の発言が災いを招くのは厳しい。であれば、あらゆる発言を慎んだほうが身のため。つまり無口でいたほうが得策だろうと思うわけです。
しかし発言を控え続ければ、コミュニケーションを拒絶する無策なヤツと疎まれるでしょう。それも避けたいなら、余計を識別する精度を高めなければならない。そうして必要または必須な発言だけを口にする。
ふむ、確かに大人っぽいけれど、仙人や村長(むらおさ、と読んでください)みたいな老人の扱いを受けそうですね。まぁ、余計なことも上手に交えて場を和ませる技を駆使できるのが理想像かもしれません。だからやっぱり良き大人になるのは難しいわけです。
前にも書きましたが、年齢的には揺るぎなき大人の僕が発言の難しさに戸惑うのは、うんと若い人たちに疑問や意見を提示するときです。そんな場面でも、先に触れたように災いの火種になる可能性があるなら、すべてを飲み込むべきかとしばし躊躇するんですね。けれど仕事においては引けない。若者を指導するというような教育的意味合いではなく、記名原稿を提出するプロの責任として。
などとカッコよさげな態度を示したい一方で、若者に嫌われたくないという本音も頭をもたげてきます。「ウザッ」って思われたら二度と依頼が来なくなるかもしれなし。いや正味な話、金銭的関係上の受領側は、授与側の意向に沿わない成果、あるいは言動を取れば簡単に切られます。他の当てはいくらでもあるから。それを承知の上で疑問や意見を投げるには覚悟が不可欠。ゆえに、互いの立場や信条が理解し合える相手にしか発言できません。
そんな信頼関係があるなら、話は簡単。簡潔かつ理路整然に伝えればいい。苦言や文句に聞こえないよう注意して。なのだけど、つい言葉数が増えちゃうんです。「頑固ジジイの戯言に聞こえないといいけれど」みたいな、冗談めかした気遣いをせずにいられらくなって。
そういうのは、言えば言うほど、ですよね。どんどん余計が積み重なっていく。電話を切ったあとで大きな溜息をついたり、今頃は相手もそうかなあって心配になったりもする。そんなとき、上手く伝わったかより嫌われなかったかが心配になるのって、やっぱり姑息な感情なのかな。口が福の元になる術があったらいいのに。

最近になり「クラシック」とか「ビンテージ」と言われる機会が増えてきた。ボロさ増大か?

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