日曜日の東京マラソン。ふと気になってテレビをつけたら、ゴールに程近い40キロ当たりの映像が映りました。すぐさまアナウンサーが状況を報告。カメラがとらえているトップのケニアの選手は、このままいけば国内最高記録に達するだろうと。それがどれほどの速さなのか確かめたくて見続けたら、2時間2分16秒でフィニッシュ。世界歴代5位に入る好タイムだったそうです。本人にも手応えがあったのでしょう。納得の表情を浮かべながら両手を挙げてゴールテープを切っていました。
その優勝シーンからすぐに切り替わったのは、日本人トップランナーの映像です。男子の部では、今回の東京マラソンがパリ・オリンピックの選考レースになっているという。残り1枠の代表を勝ち取る条件は、日本人最上位かつオリンピック出場設定タイムの2時間5分50秒を上回ること。ゆえにカメラは、その可能性を残した選手を追い始めました。
しかし彼は、日本人トップの9位で、なおかつ自己ベストを更新してフィニッシュしつつも、設定タイムに42秒届かず。ゴールした次の瞬間から泣いていました。おそらく、とめどない涙を流す以外に、そのときの彼にできることはなかったのでしょう。
「1万時間の法則」というものがあるそうです。マルコム・グラッドウェルという人が著者で提唱した説で、極めて優れた専門家または成功者になるために最低限必要なのが、1日8時間/週5日働いて約5年に相当する1万時間らしいんですね。言うまでもなく、ただ1万時間を費やせば誰でも成功するわけではなく、どう1万時間を過ごすかが重要なのだけど、たとえば件の42秒を「1万時間の法則」で考えた場合、彼がそれを超えられなかったのは、彼の1万時間の使い方に原因があったのでしょうか。しかし、1万時間=3万6千秒の42秒を誰が咎められるのだろう。あるいはそれを責めていいのは、当人だけかもしれない。
それはつまり、どんなに時間をかけても、どんなに努力をしても報われないことはあるという、あらゆる救いを奪い取られた残酷な現実でした。そんなシーンをテレビ越しながら目の当たりにして、すごく怖くなったのです。僕にはオリンピック出場などという大きな目標がない分だけ、時間の使い方が甘くなっているのではないかと考えてしまったから。何しろ、もはや1万時間を楽観視できなくなっている僕に与えられているのは、たぶん残りと呼ぶべき時間のはずなのに。

それぞれの川辺。
