1カ月くらい前、こんな記事を見かけました。年長者から送られてくるLINE等のメッセージの文末につく句点に年少者たちは恐怖心を抱くらしい。それは「マルハラスメント」と呼ばれ、逆に年長者たちが恐れを感じているという……。
こういう類の記事は、あれこれ考えの枝が伸びていきます。まずはハラスメント。名前をつけてしまえば、誤解もその実態に属しかねない怖さがあるのに、生物研究者が新種発見に躍起になるような勢いで、何でもハラスメント呼ばわりするのはさすがに行き過ぎだろうと。もちろん他者に不快な思いをさせるのはよくないにせよ、文末に「。」をつけるだけで嫌がられたら、僕ら物書きはあっけなくへこみます。
いやいや、それはあくまでLINE等の短文メッセージに限られる話なのでしょう。そしてまた年長者というより中高年は、どんな場所でも長文になりがちで、それが若者にはウザいことも知っています。「LINEなのに、なぜこんなに長いの?」と驚かれたことが僕にもあるから。
でも、いいじゃないですか。皆さんが多様性を重んじるなら、中高年のメッセージもそれぞれの個性として尊重すべきではないかと思います。あるいは中高年は、若者の短いメッセージに素っ気なさや、場合によっては不備を感じているかもしれません。けれどご時世的にそれを口にすると叩かれそうで言えない。そのあたりは、名称だけが独り歩きするケースにありがちな無用なストレス拡散と言っていいでしょう。
もっとも残念なのは、何かにつけ対立構図にされるところです。「マルハラスメント」であれば、SNSに慣れた年少者とそうではない年長者。優しさが求められているというわりに、他人には優しくなれない時代なのでしょうか。
さておき自分の場合は、基本的にどんなメッセージにも句点をつけます。また、SNSの特性または慣習に則って長文は控えるものの、読みやすさを考慮して読点も使います。そうするのは、文章書きを生業とする者の礼儀だから。何というか、特定の意図がないのに句読点なしの文章を見せるなんて、ドアを開けたままトイレで用を足すみたいな気持ちになるのです。なりませんか? ならないのかな……。
いずれにせよ、真の本音を言えば、句点の有無が取り沙汰されるその一点に呆れました。狭量なことだと嘆くのは、僕が世間ずれした年長者だからかもしれません。しかしこんな話を聞かされたら、メッセージの送り方が気になっちゃいますよね。それでも、あえて中高年らしい頑固さを発揮して自分の方法を通しますけれどね。

時には誰も見ていない真夜中に立ち上がって、曲げたままの足を組み替えたいと思っているはず。
