1970年3月14日は大阪万博の開会式が行われた日。その時点で小学1年生だった僕は、たった7歳ながら時代の大きな転換みたいなものを感じて、かなり興奮したのでした。
当時の空気を知らない世代には、なんのこっちゃわからんと思います。僕にしたって正確につかめてはいなかったのだけど、もはや世の中がどんどんよくなっていく期待は、その辺を走り回っていた鼻水垂れの子供にも実感できたほどでした。とにかく地面からせり上がるような勢いがあった。その象徴が、70年代という新たな時代の始まりとともに開幕した万博だったのです。
僕はこの万博で、おそらくその後に人生に影響する様々な感性を得たと思っています。一つはデザインというもの。万博会場に展開した各国のパビリオンがどれもカッコよく見えて、少年誌に掲載された写真に首っ引きになりながら、必死で絵を描きました。仮設建築ではなかったけれど、岡本太郎さんによる太陽の塔などは、たぶん今でも空で描けるはずです。
日本初の万博はEXPO’70とも呼ばれて、その呼称をすっと記憶したのはもちろん、桜の花びらを想起させる5つの丸い円を用いたシンボルマークも何度も模写しました。物書きになってからは、耳触りがいいだけのカタカナ語を嫌うようになったけれど、7歳のガキはむしろ初耳の言葉に吸い込まれていたわけです。なんかもう、みんなキラキラ、シャラシャラしていたから。
それほど憧れた万博は、その年の9月13日まで183日間に渡って開催されました。けれど僕は、とうとう行けませんでした。最大の障害は距離。千葉に住んでいた僕に大阪は、あまりに遠かった。それゆえ距離に鑑みて、僕から親に「万博に連れていってくれ」とは言えなかったのです。子供ながら、朝から晩まで働き通しだった両親にそんな願いを口にすることはできませんでした。
デザインに興味を持った感性は、大人になってもほぼまっすぐに反映されました。対して距離の障害は、「だからこそ行けなかった場所に行く」という反作用で現れたと思います。取材好きなのはそれが証拠でしょう。
そのあたりを改めて考察してみると、7歳で世の中が変わる期待を感じたものの、少なくとも僕自身はその後も多くの我慢をしたことになるかもしれません。ただ、我慢に気づかないほど、70年代の始まりはあらゆるものを牽引する力に満ちていたように思います。その感じは、バブル期の浮かれ方とも、未来を意味していた21世紀最初の年とも違います。果たして再びEXPOの気分を味わえるかというと、いろいろ知ってしまった今となっては、正直なところ期待薄ではありますが。

ビルの隙間に置かれたこの類のオブジェ。目に留める人はどれほどいるんだろう。
