ゴジラに関する勝手な戯言(2)

書きたいだけの戯言。果てしなくお暇なら、お付き合いください。そんなわけで、二日連続のゴジラの話です。
なぜ終戦から日の浅い時期に上映された『ゴジラ』を日本人は受け入れたのか? その疑問を解いてくれたのは、ゴジラに戦争被害者としての共感や同情を覚えたという見解。そこにたどり着いて新たに生まれた疑問は、なぜ不条理を日本人は諦められるのか。これが昨日の締め……。
いろいろ調べた中で腑に落ちたのが、『ゴジラ-1.0』の山崎貴監督と養老孟司さんの対談動画でした。よかったらYouTubeでご覧ください。その中でお二人は、ゴジラを祟り神に見立てていたのです。
祟り神に関する説明はたくさんあります。通説的には、人々に災いをもたらすものではあるけれど、手厚く祀りあげれば強大な守護神にもなってくれるらしいんですね。ここで重要なのは、いずれにしても神様ということじゃないでしょうか。
ゆえに人々はゴジラを神として見ることができた。しかもフィクション映画なので、かなり素直に荒ぶる祟り神と受け入れられた。そんな資質を多くの日本人が具えていたわけです。そこら中に神様が宿ると信じた、日本古来の普遍的な宗教観が根付いているから。
『ゴジラ-1.0』では、ゴジラ=神を象徴するようなシーンがあります。相模湾決戦を敢行した民間人が、船の甲板からゴジラの最期を見届けたとき、全員が敬礼をするんですね。おかしくないですか? 最愛の人々や故郷を奪われた戦争を何とか生き延びて、今度はわけのわからない巨大生物に襲われたのに、憎しみも悲しみも敬礼で飲み込むなんて、それこそが不条理の極みです。
けれど僕はこの場面、二度目で気づきました。一度目にすんなり見逃したのは、僕の中にもある日本人的宗教観が「そうだよな」と納得してしまったせいかもしれません。
地震や台風などの自然災害に繰り返し晒されてきた日本人は、物理的な事象の原因を神様のせいにしなければ災難を乗り越えられなかったんだろうと、そんなふうに思います。そういう精神的土壌があったとしても、人間同士の諍いでる戦争まで神格化したことは、この国が反省すべき点ではないかと考えます。
となれば終戦から9年後の『ゴジラ』も、終戦から78年後に公開された『ゴジラ-1.0』も、暗に「そこに目を向けよ」とほのめかしているのかもしれない。あるいは、「怒りに任せて日本人が祟り神にならないように」と諭しているのだろうか。どうなんだろう。
さておき、ゴジラに関してここまで考え込むとは思いませんでした。それだけいい映画ということなんでしょうね。

そして台風一過みたいな青空。1号はこれから関東に接近するんだっけ。

 

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