道義的責任について

ふと見下ろした足元にスマホ。ランニングから自宅1階の駐車場に戻った直後のことでした。だから最初は、ウェストポーチに収めたはずの自分のスマホが落ちたと思ったのです。そういうときは、反射的に拾い上げる行動を起こすものですね。こんな硬い地面の上じゃ精密機械に支障が出るだろうと舌打ちしながら。同時に、落下した気配がなかった奇妙さに疑問符を浮かべながら。
落ちていたスマホが自分のものではないことは、すぐにわかりました。おそらく反射的な行動には、自分のスマホを確認するためウェストポーチを触る動作も含まれていたのでしょう。それはポーチの中にあった。そして拾い上げたスマホは、スイッチのレイアウトが自分のものとは異なっていた。
「これは面倒だな」
落とし物と判明した瞬間の、僕の本音です。触った以上、道義的責任が発生するだろうから、拾わなかったことにするわけにもいかない。そこでよみがえったのが、知人の歓喜です。他県に住むその人は、都内で紛失したスマホが交番に届けられていたと知り、改めてこの国の治安の良さと親切心の強さに感動していました。それは美談だけど、思い出したことで僕の責任はさらに重みを増しました。
何か手掛かりがつかめればと、配置が異なるボタンに戸惑いながら、メインらしきスイッチを押してみました。画面に現れたのは「こんにちは」。続いて「你好」
そこで僕はこんな推論を立てました。他国の言語が最初に現れるということは、訪日外国人旅行者のスマホではないか。なおかつコロナ禍前は、繁華街から外れたこのあたりまで中国人らしき団体が迷い込んでもいたし。これは「你好」に引きずられた結果。なおかつスマホを裏返してみると、レンタルサービスの機器を示すシールが貼ってありました。
僕の推論で確定だろうと思ったのは、近所の交番まで歩いているときです。しかし警察官には自分の考えを伝えませんでした。その程度なら彼らもわかるし、下手に話して邪推されるのも御免だったから。警察官も拾得物に慣れているのか、多くは聞かないんですね。落ちていた場所をたずね、拾得物のその後の権利等を確認する書面のチェックだけしか求められませんでした。ただし書類には署名させられた。
そうして道義的責任が明らかになりました。失くされた方は困っていらっしゃるでしょうが、僕からお伝えしたいのは、スマホのような厄介な物は落とさないでいただきたいということです。

見られていると知りながら毛繕い。不可侵領域を心得るなら撮ってもいいってことだな。

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