「ぜいぜいはあはあ」

4月から5月の怠慢を反省して、ここのところは(少しだけ)ランニングする機会を増やしています。毎度のことだけど、間を開けて走ると「こんなにきつかったっけ」とめげそうになります。それを覆そうとするのは、「ここを乗り越えれば次は楽になる」という経験値。そういう面倒臭い自問自答の繰り返しを撤廃したいなら、走る習慣を保つ他にないんですけれどね。
そんなこんなで「次」に期待して間を開けず走ると、今度は「前よりいいタイムを出したい」という欲が顔をもたげてきます。これも本来は撤廃すべきです。僕が自発的にランニングする目的は、記録の向上ではないから。
何よりも(自分から切り出したくはないけれど)相応に歳を重ねてきたら、タイムを目的にするのは危ないと理解しているのが大きいわけです。怪我以上に怖いのは、タイムの変動を気にしすぎた挙句、走るのが嫌になること。だからこそ、絶対的な数字よりも、相対的でいいから今日も走りたくなる意欲を持てる感覚を大事にしたほうがいい。
なのにこの阿呆はいまだ青臭い。信号待ちやスナップを撮る際に立ち止まるたび、ランニングアプリが示すラップタイムが目に入ってしまうと、頭でわかっていることがすっ飛ぶのです。これがよくない。遅ければ巻き返そうと、速ければさらにと意気込んで、どちらにせよ頑張ってしまうから。
それが自分とスマホの間だけで済むならいい。ふと気になったのは、そうして住宅地を走る自分が町の人の不安材料になっている可能性です。ずいぶん前に教わった、一定のペースを保つ呼吸のリズムは「すっすっはっはっ」それがペースアップを図ると「ぜいぜいはあはあ」になるのは必然。けれどこれは獣じみていて、いくら日中であれ背後から荒っぽい息づかいが迫ってきたら相当におっかないだろうと。そういうのは専門のトラックか公園でやってくれと、そのうち通報されるじゃないかと思ったりします。
いろいろ間違っているみたい。何か行動を起こせば反省はつき物だけど、他人を巻き込んで猛進や増長しない策を考えなければいけませんね。今日も走りたくなる意欲が失せないうちに。

夏季の麗しき給水ポイント。見てないで飲め!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA