知り合いのギター好きには小学5年生の姪っ子がいて、伯父の影響を受けてか、自ら弾いてみたいと言い出したそうな。自分の趣味に関心を示してくれたのがよほどうれしかったのでしょう。その知り合いは、初心者に手頃なギターをプレゼントしました。
それが春休み。なので当初は毎日何時間もギターを弾いていたんですって。しかし優秀な学校に通っているらしい小学5年生は、新学期になると「あぁ、もう疲れる」と愚痴るほど勉強に追われ、ギターに触れなくなっていきました。
それは彼女の優先順位なので仕方ありません。真面目な子なんでしょうね。おそらく世間一般的にも、ギターにうつつを抜かすより勉学に励んだほうが正しいはず。けれど勉学よりギターにうつつを抜かした者にすると、わかっちゃいるけれど残念な気持ちに襲われます。音楽を楽しんだほうが人生は豊かになるのにとか、10代の始めから弾いたらすごく上手になるのにとか、普通の親御さんが聞いたら目くじらを立てそうな希望が崩れる音を耳にしながら。
それから楽器の類は、すぐに満足できる音を出せないところも、少なからず彼女の優先順位に関係していると思います。ギターに挑戦した覚えのある方ならご存じでしょうが、初心者を苦しめるのが「Fの壁」です。和音を構成するコードの中には、6弦から1弦まで人差し指1本で押さえ切るバレーコードというのがあって、その最難関がギターの一番上のフレットで展開する「F」。指の力が必要だし、力の入れ具合も難しいのですが、習熟者はそれを克服するいくつかの術を知っています。ゆえに伯父は、本人から救いの声が挙がるのを待ちたかった。ギターに対する意欲ある姿勢とともに。
わかるなあ。厳しさとか意地の悪さじゃなく、自分と同じようにギターを好きになってほしいだけなんですよね。けれどおそらく、教育の難しさはそういう部分にあるのでしょう。なおかつ血縁的な距離の近さも、向き合い方を複雑にするのかもしれない。
そうこうしているうちに、6本の弦の1本が切れてしまった。ギターの弦は消耗品なので、切れること自体は珍しくないのですが、新たに張る作業は初心者には厄介です。
「張り換えてくれって自分から言ってきたら」
これは伯父の言い分。それを聞いた僕は、待たずに換えてあげたらいいのに。何ならオレがやろうか? と返しました。そんなやり取りをしてから約2週間後。彼は彼女のギターを取り出し、目の前で弦交換を始めたのです。「ついに言ってきたから」と、誰に言い訳するでもなく。
ほとんど面識のない小学5年生に向けた僕の願いは、ギターを好きでい続けてくれること。そして、いつか伯父と姪のセッションを見たいこと。うつつは現と書きますが、それを抜かした(世間一般からは眉をひそめられそうな)世界にもまた幸福な現があることも、彼女が大人になる中でいつか気づいてくれればと思います。

突然の梅雨入り。大雨から始めるなんて、満を持さなくてもよかったのに。
