雷より怖いもの

今日は、『雷記念日』。この謂(いわ)れが、なかなかです。
延長八年六月二十六日、というのは西暦930年。現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』に出てくる藤原道長が左大臣になったのは996年。いずれにせよ平安時代ですが、その一大事は大河ドラマの現時点より60年以上前に起きました。
通称「清涼殿落雷事件」。天皇の日常的な居住スペースまたは政治用施設だった平城京の清涼殿に、先の旧暦の日付に雷が落ちたそうな。よほどの威力だったようで、藤原清貫を始めとする多数の朝廷要人が死傷。なおかつ、その落雷を目撃した直後から体調を崩した醍醐天皇が3ヶ月後に崩御……。
「直撃ならまだしも目撃だけで人が死ぬか?」
これは現代を生きる僕らの素朴な疑問。しかし平安の人々は、自然現象の発生すら呪いの仕業と考えたらしい。
「清涼殿に雷を落とし、藤原家の有力者を殺したのは、菅原道真の怨霊である」
そう断定したのが誰かは知りません。陰陽師だったのかもしれない。いずれにせよ、科学知識が乏しかった時代なので、恐ろしい天変地異は不幸な死を遂げた者が起こしたと考えたほうが納得しやすかったのでしょう。
確かに、菅原道真は不幸な目に遭いました。頭脳明晰学力優秀だった道真は一気に昇進。右大臣まで上り詰めます。それを不愉快に思っていた左大臣の藤原時平は、政治的謀略を仕掛けました。その結果、覚えのない罪を着せられた道真は九州の大宰府に左遷。彼の地で不遇な扱いを受けたらしく、道真は都に思いを残したまま2年で亡くなります。これが菅原道真怨霊説の根拠。
とは言え道真が死去したのは、清涼殿落雷事件の27年前なんですよね。それだけ経っていれば、仮に落雷が誰かの呪いであったにせよ、もっと近年の別人を上げたらいいのと思います。そうではなかったのは、よほど道真に対して酷いことをした後悔があったのか、または怨霊を生み出してしまう自分たちの業に戦慄を感じたのか。ちなみに、道真をおとしめた藤原時平の39歳の死も、道真の呪いとされたそうです。
もうひとつ時代的に興味深いのは、怨霊になってしまった人間の怒りを鎮めるため、神として崇めるという宗教的手段をとることです。清涼殿落雷事件から17年後の947年、道真は北野社の雷神となり、やがて全国の天満宮の天神として祀られます。それで道真の霊魂は納得できたのだろうか。今は学問の神様として、受験生の願いを一手に引き受けておられますが。
そんなわけで『雷記念日』は、雷より怖いものがあることを暗示しているようで、僕はぐっと惹かれました。

しとしと長雨という梅雨は、もはや過去のものなんだろうか。

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