そして悲しくうたふもの

昨日のここで、「オリンピックは遠くの国で行われるもの」という一文を記しました。これを思いついたとき、有名な詩の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」が浮かびました。作者は室生犀星。誰もが共感する望郷の念をつづったものと思い込んで、そっち方面で何か書けるか調べてみたら、とんでもない誤解をしていたことに気づかされたのです。詩を正しく知らなかった恥を挽回したいと思います。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの

これが、『小景異情』と題された6篇構成の詩の、「その二」の冒頭です。ここだけを切り取れば、地方から都会に出てきた人が故郷を懐かしむ気持ちに読めます。おそらく、この2行の切れ味が鋭すぎたあまり、以下に続く詩が見過ごされたのかもしれません。原詩を全文引用するのは気が引けるで、意訳を示します。

故郷とは、遠く離れてこそ懐かしく悲し気に思い出すものであり、たとえ見知らぬ場所で落ちぶれようとも、帰ってくる場所ではない。
一人都会の夕暮れに故郷を思って涙ぐむ。そんな心を持って再び都会へ帰らねば。

かなり難解ですよね。何よりも、作者が意図する「ふるさと」とはいったい何なのか、初見では理解できません。
この詩の解釈には、室生犀星の生い立ちを知る必要があるとされます。
1889年(明治二十二年)、いわゆる妾の子として金沢で誕生。名前を付けられる前に養母に預けられ、半ば虐げられるようにして少年時代を過ごしたそうな。13歳になる年、義母の命で高等小学校を退学させられ、裁判所の給仕に。そのあたりから俳句に興味を持ち、新聞に投句を開始。詩や短歌にも手を広げ、犀星の文学活動は熱を帯びていきました。
20歳の1910年に意を決して上京。裁判所の仕事をしながら東京の文人たちを訪ね歩くも、翌年には困窮に迫られ帰郷。しかし金沢にも居場所はなく、それからしばらくは何度も上京と帰郷を繰り返しました。
そんな状況下の、心身ともにさまようような心情を表現したとされるのが『小景異情』。北原白秋に認められ、白秋自身が主宰した詩集『朱欒(ざんぼあ)』に掲載されたのが1913年でした。
では、犀星は不幸だったのか? 僕は違うと思います。もちろん少年時代の境遇には同情しますが、後々亡くなるまで小説家でいられるほど好きになれた文学と若いうちに出会えたことは、この上なき幸福だったのではないでしょうか。そしてまた『小景異情』が自身の境遇をバックボーンにした作品であれ、有名になったことで詩の解釈を読者に任せられる作家名利を得たのではないでしょうか。
いずれにしても、心から欲している故郷がどこにもない切なさを、20代前半で詩に託しきれてしまった才に敬服です。いやまったく、知らなかったなんて罪という他にありません。

悲しくうたふもの。雨の夜の赤色。

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