悪魔

僕の心の奥底には悪魔が棲んでいて、事が起きれば暗がりから顔を出し、即座に誰かを呪う準備を整える。もちろん、そんな行いは認めない。ましてや、心を司っている僕自身が悪魔の呪いに取り込まれてしまえば、この身体が何をしでかすかわからなくなる。それだけは絶対に回避せねばならず、だから悪魔の身じろぎを察知したら、僕は必死で心の制御に務めることになる。
悪魔が呪いの準備に取り掛かるのは、かつて僕をひどく困惑させた、強いて言えば悪しき人間の近況が漏れ伝わってきたときだ。言うまでもなく、そんな人間たちとはとっくに絶縁しているのだけど、残念ながら世間は狭い。特にSNSの発展は世界の狭小に拍車をかけた。外界から遮断された自宅にいながら、確実な距離を取った人間たちに接触してしまうなんて、現代を生きる代わりに与えられる罰なのかとすら思う。
触れたくもない言動を紹介するのは、僕が信用している人々だ。彼らは、僕にとって悪しき人間との関りを善意のもとに報告する。そこでの悪しき人間は、場合によっては希望を授けるような存在として登場する。
「昔もそうだったよな」と、心の奥底の悪魔がつぶやく。そこで僕の記憶がよみがえる。周囲を前向きに取り込む最中で、すべてを裏切るような、それこそ呪いの言葉を吐いたのだ。耳にしたのは僕だけだったかもしれない。けれどとにかく、その瞬間にその人間が信用できなくなった。やがて僕は、ともに築いた場所から立ち去る決意に迫られた。似たような事は、この人生で何度か経験した。
そうした苦い過去に意識を奪われると、心の制御がおぼつかなくなる。その間隙を縫って膨張しようとするのが悪魔だ。しかし僕は、全力で抑え込む。相応の犠牲を払って悪しき人間と絶縁したのは、他ならぬお前の宿主なのだからと。そう言えば、すぐに反論してくるだろう。「その犠牲が悪魔を生み出したとしても?」
一呼吸置いてから、僕は静かに語りかける。記憶の中の人間を殺し切れないのと同様に、自分の中に棲みついてしまうお前を生かし続ける。なぜなら、悪魔の存在を認めれば、悪しき業を見極める力を持てるに違いないから。
でも、どうなんだろう。お前を認知してしまうということは、僕が誰かの悪しき人間になる可能性を受け入れることにならないだろうか。そう悪魔に問いかけたら、抑え込んだ手の先で姿が見えなくなった。死んではいない。いつか必ずそっと現れ、再び僕と対話するだろう。悪魔にしても、誰が本当の悪魔かわからない不安を抱えているはずだから。

伝説的ブルースマンが悪魔に魂を売ったのはクロスロード。踏切ではなかったらしいけど。

 

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