興味の矢を

次の春には卒業を控えている学生さんに会うと、ついこんな質問をしてしまいます。
「就職は決まっているの?」
これ、口にしたそばから後悔するので、本当はやめなきゃいけない。なぜなら、縁遠い世代との接点を探るためとは言え、あまりに杓子定規な切り口だから。それに彼らにしても、就職が現時点で最大の関心事ではないかもしれない。そして何より、卒業即就職が必ずしも人生の正規ルートではないはずと、非正規ルートをたどってきた僕が思っているにもかかわらず、そんな有体の大人みたいな発言をするのがダサすぎるから。
それでも素直な学生さんはいて、まだ卒業後の就職先が決まっていないという子は、「学んだことが生かせる場所で働けたら」と話してくれます。ありがとう。失笑せずに応じてくれて。
その子の言う「学んだこと」とは、間違いなく本人が興味を持てた事柄でしょう。そういうものとの出会いは、人生の幸です。やりたいことや好きなことが見つけられないと嘆く人にすれば、それは是が非でも獲得したいものでしょう。
けれどその幸は、たまたま手を出したら指に引っ掛かってくれた場合より、あちこち見渡した中で「これ!」と気づけたケースのほうが多いんじゃないでしょうか。何が言いたいかというと、興味の矢を周囲に向けて射続けたからこそ、やりたいことや好きなことに当たったのではないかと。そうした行いを努力と受け止めない人は、自らつかんだ幸を幸運と呼ぶと思います。偶然授かったと感じるから。
編集者を経てフリーランスライターになった僕の出発点は、何かを創る人になりたいという思いでした。それを芽吹かせてくれたのは、二十歳すぎに勤めていた服飾関連の企画室です。
その頃は、単調な作業が続く倉庫担当や営業補助をやり、明日が見えない灰色の日々を送っていたのだけど、その中で新作をつくる企画室だけは別世界に見えました。今なら、新商品の企画には相応の経験や技術が必要だとわかりますが、当時は単純に楽しそうだったし、デザイナーと呼ばれる人々にも自由の匂いを感じたのです。だから用もないのにしょっちゅう企画室に出入りしました。
しかし、自由の匂いを嗅ぎ取ったせいで、日々を過ごす自分の影がより一層濃くなってしまった。それはそれで苦しさが募ったけれど、漠然としつつも自分の興味を知れたことは、振り返れば後々出会える幸の兆しだったんだろうと思います。
うわうわ、自分の話をしちゃった。こういうのも学生さんには嫌われるな。いずれにしても社会人の長さは学生の比ではないので、半ば闇雲でも興味の矢を射続けてほしいです。なんてそれっぽい話も、聞かれるまではしないでおきますが。

エレベーターの中でも動画CM。振り返ればプロジェクター。なんか、落ち着かない。

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