ミュシャのファンを公言できるくらいには

主に植物をモチーフにした緻密な背景に、天女のような美しい女性を描いたアルフォンス・ミュシャという画家をご存じの方は多いと思います。僕もこの人の作品が好きで、今年の正月には書店の店頭に並んでいた画集を衝動買いしてしまいました。けれど、数多くの作品が掲載された本を手にしたのはこれが初めてだった。だからミュシャの生涯もよく知らなかった。好きと言いながら、それじゃファン失格も甚だしいですよね。
1860年7月24日、スラブ民族を祖とするチェコで誕生。裕福とは言い難い家庭に育つも、声の良さを認められ聖歌隊に入ったり、聖歌隊の合唱歌集の表紙を描いたりと、少年時代からアーティスティックな才能を発揮したそうです。
ミュシャが最初に注目を集めたのは、あと5年で新世紀を迎える19世紀末のパリ。後に触れる奇跡的な仕事によって、その後10年間は演劇のポスターやタバコ、シャンパン、菓子、自転車等の広告で彼のデザインがあふれかえります。この期間の最大のトピックスは、1900年に開催されたパリ万博。ミュシャは、オーストリア館とボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の内部装飾と、各種グラフィックを担当しました。
広告関連と決別すべく、画家活動のスポンサー探しでアメリカを歩き回ったあと、50歳になる1910年にチェコに帰国。スラブ民族の歴史を描いた、20点からなる大きな壁画の『スラブ叙事詩』の制作に取り掛かります。
以上が、あまりにざっくりとしたミュシャの人生。知らなくて驚いたのは、彼が世に出る大きなきかっけとなった演劇ポスターの発注経緯でした。当時のフランスの人気女優、サラ・ベルナールが主演の舞台『ジスモンダ』が初日を迎えるのは1895年の1月。ポスターの依頼があったのは、その数日前の1894年12月25日。そんな年の瀬にパリに留まる画家などほぼ皆無だったそうな。
慌てた発注者の電話がようやくつながったのは版画工房。なんとそこでミュシャが働いていた! そんなことあるのかって話です。彼が急いで仕上げたポスターは年明け早々のパリ市内に貼り出され、舞台は大盛況で閉幕。主演女優がミュシャを気に入り、それから6年間はお抱え絵師としました。僕が特に好きな、特徴的なフォント入りの広告の依頼も、そのクリスマスの奇跡から始まったわけです。あるいは本当の才能とは、運の強さに恵まれることだと思わせる逸話ですよね。
もうひとつ知らなかったのは、1939年の今日がミュシャの命日であること。それに気づけたのはミラクルではないけれど、これを機会にもっとミュシャを知らねばと思った次第です。最低でもファンを公言できるくらいには。

ミュシャの『ジスモンダ』が世に出てから129年後の正月に手に入れた本がこれ。キラキラ装丁。

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