セントとテント

漢字、平仮名、片仮名と、3種の表記を用いて多彩な言葉をつくり、なおかつ国民のほとんどが使い回せるところに日本語のおもしろさがあると思っています。ただし、多彩ゆえに生じる意味の曖昧さに言動の逃げ道を用意している点で、他国の人には理解しがたい言語だとも思います。何を言っているか、わかりにくいですよね。つまるところ、セントとテントの話です。
今日は『東京の日』。慶応四年七月十七日(西暦1868年9月7日)、明治天皇が発表した詔勅(しょうちょく)で、江戸を東京に改称すると伝えられたことに由来しているそうです。
ご存じの通り、それまでの江戸は徳川家が約260年間に渡って幕府を置いた、国内政治の中心地でした。しかし将軍すら治める天皇が江戸時代より長くおられたのは京都。このややこしい二重構造を、慶応四年一月に樹立した新政府は改めようとしました。
そこで年内中に明治へ改元する直前、政治と天皇を密接に機能させるべく、江戸を改め東京という新しい首都が設けられた――。そういう説明で済むなら話は簡単。実は現在も東京は、法的に首都ではないらしいんですね。
明治天皇が発した地名改称の詔勅は、実質的に天皇が東京に住まうことが示唆されていました。であれば、一国の政治と文化の中心地すなわち首都を移す遷都(せんと)とすべきなのです。ところが歴史的に天皇と深い関係を築いてきた京都に気を遣ったんですね。京都に対して東の都という名前を用意したのは、その表れに他なりません。
なので明治時代初期に実施された政治的機能の集約は、新たに都を定める奠都(てんと)と位置付けられました。これについては、現在も正式に改められていないそうな。
「どっちでもいいじゃん。すでに東京が日本の首都だと思っている人しかいないだろうから」というのが現代人の感覚でしょう。でも個人的には、遷都と奠都の使い分けでなし崩しに事態を収拾しようとする曖昧さにこそ、今も脈々と受け継がれている日本人の感性が見て取れると思います。言葉が存在するから、それもありと許容してしまうのは、果たしていいことなのかどうか。
「だから都は移っていないし、天皇さんも長く留守にされてはるだけ」という意識を持った京都の方が今もいらっしゃると聞きます。そんな感覚をおもしろいと受け止めてしまえるのも、僕の中に根付いている日本人的感性によるものでしょう。一字違いのセントとテントも、その類かもしれない。それでいいのかな。

ベランダの先の絵画的世界。

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