信心

「それよりも、今日はこんなことがあった」と電話口の母親が切り返しました。とんでもない暑さが続く中でちゃんとエアコンを使っているか確認した長男の心配が「それより」でした。
「買い物の帰り、目の前にクルマが止まったのよ。何かなと思っていたら、運転席から女の人が降りてきて、よかったらお宅まで送りますよと言ってくれたのよ」
母親のこういう報告に対して、勝手に気を回してああだこうだ言わないようにしています。耳が遠いので、こちらが普通にたずねても早口で詰問されているように感じてしまうと前に聞きました。なので、あれこれ気掛かりな前振りをされても、問い質したい気持ちをぐっとこらえます。今回はまず、「おお」と答えました。
「わざわざ降りてくれたのだけれど、家はすぐそこだから大丈夫ですよとお断りしたのよ。そんな人がいてくれるんだね。ありがたいことだね」
最近そういう親切に触れる機会が多くなったのは、数珠を持って出かけるようになったからだそうです。それを聞いて僕が返したのは、「そう」だけ。それだって正しく響いているかよくわからないけれど、とにかく短い相槌みたいな返答のほうが今の母親には正解みたいです。それに、いくらこっちがやきもきしようと、「親切を装って平気で騙すヤツが多いご時世だから、何があってもクルマなんかに乗らないでくれ」という長文は求められた回答ではないようだし。
「それから、道を歩いていても人がぶつかってこなくなった。それまでは、スマホに気を取られて私の杖を蹴飛ばしそうな人が何人もいたのよ。ちょっとぶつかっただけでも老人は転んで、二度と歩けなくなるかもしれないのに、そんなこと考えないのかね。でも、そういう危ない目に遭う機会もうんと減った」
そうか、それはよかったと応じました。数珠の効能に対する疑心など一切口にせず。老いた母親を子供扱いするつもりはありません。昔から信心深い人の思いを尊重したいだけです。そしてまた、感謝に裏打ちされた母親の信心が可能な限り裏切られないことを切に願うばかりです。
おそらく、電話で週に一度話すだけの僕にはうかがい知れないたくさんの親切が、一方的によく喋るけれど脚の弱い母親を支えてくれていると思うんですよね。クルマから降りて声をかけてくれた方、この場を借りてお礼を申し上げます。あるいはその方も、自分の信心を大事にされているのかもしれませんね。

泥と汗で汚れたパンツを真っ白に洗い上げるまでが野球である。たぶん。

 

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