昨日は朝6時起きで男子プロゴルフツアーの取材へ。毎日その時間に起床される方にすればなんてことはないのでしょうけれど、早起き以上に早寝が苦手な僕は、少なくとも2日前から午前6時起床を遂行するための作戦を練らなければなりません。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当です。大変なんです。遅寝が身についていると。
そんわけで、苦行っぽい取材を完遂したあとにはご褒美を。これも作戦の中に含まれていました。僕が追いかける宮里優作プロの初日のラウンドは、遅くても昼過ぎには終わるはず。であれば最後まで見届けて、どこかで昼飯を食べて自宅に戻っても、午後2時からはフリー。ならばお天道様が高いうちにビールを飲んじゃっても誰も叱るまい。なおかつ2本くらい空けちゃって、ほろ酔いのまま午睡を貪る。ああ、なんて充実した1日だろう……。
まぁ、ささやかなもんです。で、上記のプランはすべて実行しました。昼寝にしちゃだいぶ長い時間横になってしまったのも、もちろん想定内です。
いかんいかん寝過ぎたとか、白々しいセリフを吐きながら夕方のニュース番組を見たら、日向灘を震源とする大きな地震の情報で騒然となっていました。恐ろしいものとして知らされてきた南海トラフとの関連があるとなれば、メディアが色めき立つのも無理はないと、そのくらいは寝ぼけながらも事態を客観視することができました。
そのとき、ふと思ったんです。今から79年前の広島と長崎に原子爆弾が投下され、甚大な被害が出たことを、たとえば遠く離れた東京で暮らしていた人は、いつどのように知ったのだろうかと。そのあたり、何も調べずに書いていますが、今より情報伝達が遅かっただけでなく、どこも空襲で焼け野原になっていたでしょうから、具体的なことが伝わったのはかなり後だったと思います。そして遠く離れた町で何も知らなかった人の中には、僕と同じように呑気を貪っていたことを申し訳なく感じた人がいたかもしれません。
何でも日付に紐づけなくていいけれど、8月9日は長崎を思わずにはいられません。ご存命の被爆者の平均年齢が、自分の母親世代と聞けばなおさらに。

誰も目に留めないサービスエリアの片隅に咲く、昼過ぎのアサガオが痛々しいほど健気だった。
