そろそろオリンピックの話をしてもいい頃ですよね。この4年に一度のグローバルな運動競技大会をくくれば、人間という種の究極と極限の大見本市と言えるかもしれません。不適切な表現を用いていることには自覚があります。けれどたとえば、地球以外の星に住む知的生命体に、人間にはこんな能力や生態があると説明する機会が訪れたときには、オリンピックを見てもらうのが手っ取り早いんじゃないかと。そういう空想に基づいた話として聞いてください。
どれだけ速く、遠く、高く動くことができるか。あるいは道具をどれだけ使いこなせるか。はたまた複数の個体の連動でいかに目的を達成することができるか。要するにオリンピックとは、人間の究極のパフォーマンスを様々な競技を通じて確認できる場です。
さらにこの大会は、人間が極限の精神状態に追い込まれたときの様子も観察することができます。極みとなるのは、勝っても負けても涙があふれること。その生態を地球外生命体はどう理解するのでしょうか。
涙には3つの役割があるそうです。目の機能を保護する基礎分泌。外部からの刺激に応じる反射作用。ここまでは生体的な理に適っていると納得できそうですが、第三の、感情の高ぶりで流れてしまう情動の涙については、同じ人間でもよくわからないところがあります。
ストレスホルモンを体外に排出するデトックス効果。副交感神経の働きによるリラックス効果。痛みを緩和する鎮痛作用。これらは情動の涙がもたらすメリットだそうです。
以上を前提に勝手な推測をすると、4年に一度だから特別という呪文に縛られた上で、メダルを獲らずに帰国できない覚悟を決めた人は、それだけで心身ともに押し潰されそうなプレッシャーに晒されるわけです。ゆえに決着がついた瞬間は、溜まりに溜まったストレスを発散せずにはいられなくなる。それが涙を流して泣くという、おそらく生命の維持にも不可欠な物理的かつ反射的な行為なのではないかと。ゆえに人間は、極限の精神状態に追い込まれると、泣きたくて泣くのではないのかもしれません。
例によって面倒臭い話をしている自覚もあります。いやしかし、自分では速くも遠くへも高くも動けないにせよ、人間の究極ってすげえなあって思わせてくれるのがオリンピックです。あるいはそれ以上に、どうしようもなく涙があふれるほどの極限状態に自らを追い込むことができるのも人間なんだと驚愕します。同じ種でもそこまでできる自信はまるでありませんから。
つまるところ今回もっとも印象に残ったのは、泣き崩れた詩選手の姿なんですよね。カメラが追い続けたことには是非がありますが、結果的に人間の究極を見せられたようで、もはや宇宙人などどうでもよく、この星に生まれた者として忘れ難い記憶になりました。

近すぎないのかと心配になって。

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