今年はなぜか夏の甲子園を見ておらず、気付いたときには最終日でした。そんなわけで昨日の決勝戦。これまた両校無得点の5回くらいからテレビをつけたのですが、とても爽快な試合でした。
いずれのチームも投手が素晴らしかった。あくまで素人目だけど、変に逃げず、どんどんストライクを投じていくので、ゲームのテンポがよかった。そして、これまた両チームの打者も初球から臆せず振っていたので、ますます試合展開がスピーディになっていった。「よく球を見ろ!」が高校野球の定石または指導のように思っていましたが、トレンドが変わったのかもしれません。いずれにしても、全国で3400を超えるチームが参加した大会の頂点を極めるのにふさわしい中身でした。
けれど、いかに両者の力が拮抗し、その末に延長戦に突入しようとも雌雄は決せられます。結果的に最後となった選手のバットが空を切った瞬間、僕はこう思いました。負けてしまった彼や彼のチームメイトはこのあとどんな思いを抱くのだろうと。
そうではなく、勝ったチームに心が向いたっていいはずですよね。勝者を応援し続けた観客席の歓喜に同調したっていい。でも、そうならないのが僕という人間のマインドです。たぶん、絶対に譲れない場面で勝った経験が少ないからでしょう。
だから負けたほうの気持ちに寄り添おうとするのか? それも違う気がします。結局のところ、何があっても譲れない場面まで達する前に、何かと言い訳をつけて諦めることが多かったと思うのです。となれば、勝ちたかった敗者の気持ちだってわかるはずがない……。
そうして甲子園に触れてしまえば、我が人生のカッコ悪い部分を勝手にほじくり返された挙句、情けないマインドの分析までする羽目に陥るわけです。それでも目が離せないなんて、自ら傷口に塩を塗り込もうとするのだろうか。それじゃ変態。いや、お清め。これまでの行為は改められなくても、せめて記憶だけは浄化したいと願っているのかもしれません。
高校球児は知らないだろうな。自分たちの姿が濁った眼の大人たちを祈祷しているなんて。

先日のゲリラ雷雨。雨粒がデカくて駐車場から出られず。
