然るべき立場に名乗りを挙げたのは、我が人生で今のところ1回だけ。30代半ば、その当時に全力で取り組んでいた自動車専門誌の編集長になりたいと自分から申し出たのです。
役職名がなかった実質的責任者が突然不在となったのが、ひとつのきっかけでした。役職を欲していたわけではなく、混乱に乗じるつもりもなかった。編集長になっても編集部内でやるべき事柄は何も変わらないし、特別手当もつかなかった。ただ、然るべき立場に就けば誰にお伺いを立てずとも自分の方針が貫けるだろうと、それは前々から期待していた権利の力でした。
見本がなかった編集長になってもっとも驚いたのは、社外の人々が僕をめがけてお伺いを立てにくることでした。すぐに気づいたけれど、メリットを求める人々はタムラトナオではなく編集長に会いたいわけです。立場に伴う責任を体感して、これはなかなか厄介と恐れました。
自分では気づけないまま横暴な判断をしたり、一人で責任を負ったつもりで空回りもしたけれど、どんな本をつくりたいか必死で考え、一定の結果を出し続けた編集長時代は、すべて現在につながる財産になっています。フリーランスになった当初は、元編集長という肩書によって一目置かれたんですよね。まるで予期しなかったし、それはそれでプレッシャーになったけれど、なれるときになっておいてよかったと実感しました。
だからきっと政治家の皆さんは、なれるものなら総理大臣になってみたいのだと思います。その野望には共感できますが、今のところは立場が目的のように見えるばかりで、実行したい事柄が聞こえてこない気がします。やはり、貫きたいことのために立場が必要というスタンスを見せてほしい。誰が空席を埋めるのにふさわしいかは、その志で決めたいですよね。
編集長がダメだと、読者は離れていきます。しかし国の政治は何度期待を裏切ろうと、国民は国から離れることができません。本とくらべるものではないけれど、真剣さの度合いに違いはないと思うんですよね。
とか、いろいろ言っても僕らには総理大臣を選ぶ直接的な権利がない。そこが悩ましいなあと思う今日この頃ですが、皆さんはいかがでしょうか。

オート三輪コレクションって、思わずシャッターを押しちゃいますよ。
