三日坊主という言葉がありますね。諺というより慣用句に近いのかな。いずれにせよ長続きせず、すぐに諦めてしまう人または状況を指します。この三日坊主に関して、ランニングしながらまとめた自分なりの見解は次の通りです。
「四日目の辛さを忘れないため」
何にせよ短期間でやめてしまって二度と関わらないのであれば、この言葉は生き残れなかったはずです。なぜなら僕らの日常には、ちょっとだけ触れてみたけれどすぐに手を放すものがけっこう多くないですか? 今は情報が多いから、あれもいいこれもいいかもとなりがちだし。でも、その一つひとつを三日坊主と指摘されたらたまったもんじゃありません。
ではなぜ三日で諦めると「ほらまたぁ」とか揶揄されるのか? それは、手を出したものが関係しています。簡単に投げ出しちゃいけない、続けてこそ価値があるとされる種類だと非難の的になりやすい。三日坊主の語源には、坊さんになるための苦行からたった三日で逃げ出すという説があるそうな。人から敬われる立場を目指すなら修行が大変なのは最初からわかっていたはず。なのにどうして? という立派な志との実際の行為の落差に人は呆れますよと、そういう諭なんでしょうね。だから坊さんになりたいなら、誰にも言わずこっそり始めるのがいいかもしれない。それじゃ意味が違ってくるか。
さておき、自分でも気づいている価値を出すには継続以外に術がないなら、やはり三日坊主は最大の敵にしなければなりません。休みを挟んで再開したときって、特別にしんどく感じるじゃないですか。ランニングがまさにそうで、いい感じで定期的に走れると、走ること自体に何の抵抗もなくなり、ペースも自然と上がります。その逆だと、走り出すまでに走らないための言い訳が次々と浮かんできちゃう。だからこそ三日坊主はよくないと、そんなことをくどくど考えながら走るときというのは、およそ四日目の辛さに直面しているわけです。いやまったく、何度同じ経験を繰り返すんだろう。
ところで明日から始まる12月を大切に過ごしたいと毎年言っている割に、それができた実感を持てないでいる場合は、何坊主というんだろう?

レモンなのかな? 住宅街の軒先でもたわわに実るんだね。
