誕生日が近づくにつれ、今年はなぜか古い記憶がよみがえりました。重めの話ですが、書いてみます。
2002年の8月に父親が逝ったとき、まるで予想もしなかった悲しみに打ちのめされました。それは、過去に経験したあらゆる悲しみが単なるトレーニングに過ぎなかったと思えるほど、太く強く揺るぎない塊となって、僕の体の芯で不動の構えを見せたのです。
そんなものを抱え込むことになった理由のひとつは、父親に対する激しい後悔でした。倅として何十年も過ごしながら、何もしてあげられなかった。挙句の果てに親孝行の機会を完全に奪われ、度を越えた不甲斐なき自分を呪う羽目に陥ったのです。
もうひとつは、人生の限りを知らしめられたこと。亡くなったときの父親は70歳でした。その時点の僕は間もなく40歳を迎えるところで、ごく単純に、あと30年なんだと思ったら、酷く慌ててしまったのです。「人生も半分を過ぎて、残された時間で何をやるんだ?」と、そんなこと言うはずもない父親に詰問されたような気持ちになったのでしょう。
そうして葬儀全般に追われた8月が終わったら、痺れた手で物をつかむみたいな、自分が自分でなくなる感覚に襲われました。体の芯に収まった悲しみの塊に押し出された魂が、居場所を失って漂っていたのかもしれません。
誕生日前日の9月16日。深夜まで仕事をしたあと、まっすぐ家に帰りたくなくて、晴海埠頭までクルマを走らせました。オートバイに乗り始めた頃からただの目的地にしていただけの、特に何があるでもない場所なので、ふわついた心身が落ち着きを取り戻せるきっかけが見つかるはずもなかったのですが。
気付いたら、午前2時だったかな。日付はすでに40歳の誕生日となり、何をしているだと我に返って家路についたのです。その数分後、以前の市場があった築地の横を通ったとき、煌々と灯る明かりが目に飛び込んできました。あの下では、こんな時間にも関わらず今日のために働く人がいるんだと思ったら、ふっと力が抜けたのです。
僕一人がどんなに悲しもうと、この世界は正しく回っていく。
そんな当然を悟って、僕の何が変わったかはわからなかったけれど、微かな脱力と引き換えに、授けられた悲しみの塊と共存する覚悟というか、諦めが芽生えたのかもしれません。
それから22年。父親への後悔は消えていませんが、無念を別の何かに変える努力に励みながら、来月90歳になる母親と向き合っています。人生の限りと思った70歳はどんどん近づいてきますが、これは天命に委ねるしかないと受け入れています。
とか、いろいろわかった風で何もわかっちゃいないというのが、62歳の驚くべき真実なんですよね。より良き人になるべく頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

紫陽花の骸に目が向くのは、再生への期待があるからだと思う。
