不義理

そんなわけで62歳と1日が経過しました。今年の誕生日は特に急ぎの用事もなく、何の変哲もないまま過ぎていくかと思いきや、相応にいろいろあったりして、やはり未来に関してわかるのは「何が起こるかわからない」に尽きると実感したところです。
他方、親切な方からお祝いのメッセージをいただきました。短文であれキーを打つ時間をわざわざ割いてくれたこと、改めてお礼を申し上げます。
ずいぶん前に書いた記憶がありますが、僕はあるときからお祝いメッセージの類を送るのを辞めました。理由は、通知を受けて気づくことが申し訳ないと思ったからです。けれどそういうのって、時世的に面倒臭く重苦しい感じがしなくもありません。そもそもSNSで通じ合っている人はさして多くないのだし、それに「おめでとう」って打つだけなのだから、あまり深く考えなくていいのかなあと。
そこで浮き上がるのが、不義理の三文字。自分で定めたルールに義理堅くなるばかり、他者への礼節を欠くのも矛盾極まりない話ですよね。そのあたりを突き詰めていくと、人を大事にするとはどういうことかという問題に直面するのでしょう。
オレは人を大事にできているだろうか?
いやいや、誕生日からややこしいことを考えなくてもいいのだろうけど、誕生日だからこそ考えるべきことがあるやもしれず、明日は何が起こるかわからないなりに、今日1日を不義理のまま終わらせないようにしなければと、そんなことを思いました。そんなこと、20年くらい前にちゃんと考えておかなかった自分を恥じながら。
不義理。新たなルールづくりのキーワードになりそうです。

いまだ花をつける百日紅。名前に義理堅い。

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