まだ名前のついていない歴史

好きな作家をたずねられたら、迷うことなく村上春樹さんを挙げます。理由は比較的シンプルです。あれだけ感化の度合いが激しい素晴らしい最新作を、リアルタイムで読めること。
たとえば夏目漱石は、明治という時代に口語体を駆使して自由度の高い作品を生み出し、同時代にリアルタイムで読んだ人々に驚きを持って評価されたと思うんですね。そんな新しさをたたえた漱石は、今読んでもおもしろい。ただ、当時の仮名遣いによる本質的なニュアンスや、作品執筆と密接に絡んでいるはずの社会情勢は、現代からでは想像する他にありません。
対してこの時代に日本語で著される村上さんの作品は、作品背景もろもろを含み、同時代を生きる者にすんなり入ってくるわけです。時には、過去の作家や、ともに体験した大きな事件や災害などの影響を読み取ることもできる。これは、漱石の最新作をリアルタイムで手に取れた読者が感じたかもしれない、未来の読者に自慢できる愉悦ではないかと、勝手に誇ったりしています。
で、大谷翔平選手ですよ。昨年まではおよそ100年前に活躍した伝説的プレイヤーのベーブ・ルースと比較されていたのに、ここに至っては比較対象がなくなる記録づくめの存在になってしまいました。
大谷選手の試合は録画までしてほぼ見続けているので、夏以降は必ずしも調子がよくないことを知っています。けれど皆さんご存じの通り、記録の節目となった40-40を達成した夜はサヨナラ満塁ホームランを放ち、昨日の史上初51-51は1試合2盗塁3打席連続ホームランという、もはや感心を通り越して呆れるほどの結果を見せるわけです。こうなると、あまりに凄すぎて、彼がどのくらい稀有な選手なのかわからなくなりますよね。
その意味不明に陥る感慨は、リアルタイムのデメリットかもしれません。何がデメリットかと言えば、今の僕らはまだ名前のついていない歴史を目の当たりにしているだけで、偉業の冷静な分析ができないことに尽きます。だから100年後、まだ野球が盛んで、その時代の人々の興味を一心に集める選手が登場したときになれば、改めて大谷翔平の実像が判明するんじゃないでしょうか。あるいは村上さんの作品も同様に。
じゃ100年後のほうが楽しいかというと、これはもう生まれ落ちた時代の性でしかないし、今がつまらないわけでもありません。僕の小さな本棚には漱石と村上さんの作品が並べられるし、大谷選手の活躍によってベーブ・ルースの真実もわかりますから。あるいは、100年後にスーパースターが現れるとは限らない。
いずれにしても、尊敬と唖然が入り混じる人たちをリアルタイムで追いかけられる僕は、いい時代に生きていることが自慢です。

平日午後4時前の、久しぶりの青山通り。やっぱり退屈そうに渋滞してた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA