秋分の日です。ざっくり言えば、昼と夜の長さが同じになる日でもあります。ちなみに、東京地方の日出は5時29分で、日入が17時38分。これを見ても、ほぼほぼ昼と夜が等分であることがわかります。
そしてまた昼と夜の長さが同じ日には、太陽は真東から上り、真西に沈むらしんですね。これがお彼岸の由来になっているそうな。
仏教の世界では、生死の境に川や海があり、悟りの境地や、ご先祖様を始めとする亡くなった人がおられるのが、川や海の向こう岸、彼(か)の岸、つまり彼岸としています。対して川や海の手前で現生を生きている僕らがいるのは此(こ)の岸、此岸(しがん)です。
その彼岸と此岸がまっすぐにつながり、他界した人にもっとも近づける日に選んだのが、太陽が真東から上り真西に沈む秋分/春分。ゆえにその日を中心に前後7日間をお彼岸とし、ご先祖様が眠るお墓参りをするよう説かれてきたわけです。
とは言え、彼岸はあくまでイメージの世界でしかないはずなんですよね。現生の此岸を生きていながら、死後の彼岸の存在を確かめられた人はまずいないから。それでも彼岸は実在するものとして、なおかつ此岸と一直線につながる奇跡を実証する春分・秋分を発見するために、宇宙の法則を知らなかった昔の人々は、気の遠くなるような時間を費やされたのだろうと。たぶん何十年何百年に渡り、日出/日入を毎日観測して、秋分/春分、あるいは夏至/冬至に一定の周期があることを確認し、暦をつくり上げたのだろうと。僕は、それが何より尊いと思います。
あるいは彼岸が必要だったのは、死後の世界に対する恐れを和らげるのと同時に、二度と会えなくなった人への切ない思いを慰める意味合いもあったんじゃないでしょうか。だからこそ、彼岸の人たちに再会できる可能性が高いお彼岸を設けたかったのかもしれません。などとわかった風に仏教を語れば、おはぎに頭をぶつけて気絶する罰が当たりますね。
さておき、彼岸と此岸がまっすぐつながるなら、僕は誰に会いたいと願うんだろう。

久しぶりの池の公園。いつも穏やかでほっとする。
