字面だけで捉えた性善説。僕はあまり信用していません。理由のひとつは、善と悪の定義がよくわからないから。僕にとっては善行でも、誰かには悪行に見えるかもしれない。それほどに善と悪の境目は曖昧で、どちらにも容易に転ぶ可能性を秘めていると思うんですね。もうひとつは、善を期待して裏切られるのが怖いのでしょう。であれば、人間の本性は性悪説に則っていると考えて行動したほうが、少なくとも自分の心は痛まないかもしれない。
ですが、信用していいかもという出来事がありました。少し前に落し物の話をしましたね。ヘッドフォンをしながら自転車に乗っている最中に紛失した件です。それが届いていました。僕の手元ではなく、届けるべき相手に。
落としたのは封書です。宛先が明記され、切手も貼ってあり、あとはポストに投函すればいいだけの状態。中身は……言えません。公的なものに近いので、これは迂闊に喋れない。とにかく、そんな大事な封書を落とすこと自体が大人としてあり得ません。深く反省しておりますので、こ令嬢の追及はご勘弁を。
落とし物に気付いて以降、あれこれ考えました。見つかる場合の最有力想定ケースは、僕の住まいのポストに届くパターン。近所の事件なので、ふらっと寄ってくれるくらいの善はあるかなあと。翌日になり配達担当の郵便局員が拾ってくれるケースも想像しました。その場合は、そのまま配送の流れに乗せてくれるのか、または送り主の元にいったん戻すのか、そこがわからなかった。
いずれにせよ、二度と見つからない確率のほうがはるかに高いと思ったので、落とした翌日には改めて封書を作成して郵送。まさか届け先から2通届いているというお知らせが来るとは思いませんでした。
「投函がベスト」と判断してくださった方がいるんでしょうね。それが法的に正しい行いかはわかりません。でも、会ったことのないどこかの間抜けのためにわざわざポストに寄ってくれたとしたら、僕はそれを善として受け止めないわけにはいかない。
性善説を説いたのは、かの孟子。人には先天的に道徳的本性が具わっているのを前提としているそうな。にもかかわらず人が悪行に向かってしまうのは、善に向かうはずの道徳的本性を忘失してしまうからだそうです。それって、オレじゃん! 過去の失敗に懲りず、お礼すらできない誰かに迷惑をかけるなんて、性悪な行いという他にない。猛省です。

褐色に枯れた葉も光が当たると彩りを持つ。太陽ってすげえや。
