始めてお仕事する方と親睦を深めるための会食や、仕事自体で接点がない顔見知りの同業者との飲み会では、「この職に就いた理由」が話題に上がったりします。そういう話、聞かれでもしない限り自分から語る機会はないので、酔いがスイッチになると、口を滑らせるみたいにいろいろ喋っちゃうんですよね。
そういう場で、そこそこキャリアを積みながらも、ほとんど苦労せず今日までやってこられたという人がいたとします。それが謙遜でもなく、あるいは密かに用意している次の展開の振りとも感じなかったら、僕ならこう返します。
「それだけの経験値を持ちながら苦労知らずなんて、一般的にはあり得ませんよ」
それでも何もないと言い張るのであれば、小さな嫌味を忍ばせながら、こんな言葉を投げます。
「苦労を語らないのが美学なんですよね。学ばせていただきます」
そんな低姿勢でジャブを打ち続けてもガードを崩さないなら、攻め方を変えるしかありません。
「では、今も依頼が続いているのは、人並み以上の運と縁に恵まれたということですか?」
ここでいよいよ相手の反応に変化が現れます。確かにそうだと。ピンチが訪れても常に誰かが救ってくれた幸運に鑑みれば、仕事面では運と縁だけに支えられてきたと、何だかしみじみ語り出すわけです。それが潮時。僕はこの質疑応答に終止符を打とうとします。
「運や縁といった不確かなものを引き寄せられるのも、実力の内ですよね。次、何飲みます?」
え~と、すみません。実際の会食で苦労を語れなかったのは僕です。美学を貫くつもりなどなく、本当にそんなものを経験した覚えがないんだから仕方ない。そうは言っても、理不尽な対応との遭遇や、それによって収益が打撃を受けたことは何度かあります。そんな事態に陥れば、もう二度とチャンスに恵まれないんじゃないかと不安におののいた夜もありました。
けれどそういう大波小波の繰り返しは、フリーランサーにとって避け難いもの。であれば、いちいち苦労にカウントしなくていいと思うんです。それよりも僕がずっと恐れているのは、原稿書きに興味を失ってしまうが来ることでした。幸いにもいまだ恐怖の大王は降臨せず。そんな日々の中で、常に誰かが手を差し伸べて続けてくれたのです。もうね、仮に苦労があったとしても、それを簡単につぶせる大きくて広い感謝しかないないですよ。
ほらやっぱり苦労なんてどこにもないやと、苦労話がテーブルに乗ったところで思い知らされました。だからと言って運や縁の強さに自信があるわけでもないんですよね。何だろう。とにかくこの世界のすべての人に、苦労知らずでごめんなさいと謝罪したい気分になりました。盃が進んだのは、その反作用だったのかな。

新車発表会は、まだまだ華やかね。
