初めてのクライアントと仕事をさせてもらうとき、稀にプロフィールの提出が求められます。つい最近もありまして、それを機会に自分の名前で出した本の発行日を確認しようと本棚を探ったら、懐かしい印刷物を見つけてしまいました。
通っていた高校が年に一度発行する、学校名がタイトルの文集。残っていたのが2年生と3年生のときのもので、いずれにも夏休みの課題だった僕の読書感想文が掲載されています。偉そうに断っておきますが、掲載されるのは何らかの基準で選ばれた者の原稿だけ。とは言え、ほとんど勉強しなかった僕を拾ってくれた学校なので、質に関して威張れるレベルではないこともお断りしておきます。
で、読み返そうと思ったのだけど、妙に恥ずかしいというか、変にがっかりしたくない気持ちが沸いてしまい、文字面を眺めるだけに留めました。ただ、我ながら興味深いポイントを発見したので、3年生のときの感想文の冒頭だけ、18歳の自分に無断で転載します。
結論から先に書くと、結局筆者の思いの半分もわからなかった気がします。自分の読みの浅さもあるんだと思いますが。
おいおい高3のオレよ。「結論から先に」と書き出してみるとか、謙遜する気もないくせにあえて「自分の読みの浅さ」を肯定してみるとか、どこで覚えたのか知らないが、手口があまりにイヤらしいじゃないか。なおかつ、何か今のオレっぽくないか?
高校時代の僕は、自分の未来像などほぼ描けず、ましてや物書きになる選択肢が目の前に転がるなんて夢にも思わなかった。しかし、いわゆる紆余曲折を経て自分も書こうとしたとき、「オレ、やれるかも」と背中を押してくれたのは、他でもないその文集たちでした。まぁ、自信になりますよね。活字にして残す原稿に選ばれた過去があるというのは。
でも、それはただのきっかけに過ぎません。今の僕が18歳の自分に感心するのは、本当に勉強が嫌いだったくせに、400字詰め原稿用紙5枚くらいの原稿を書く集中力と執念は持てたということ。それすら持ち得なかったら、今日のオレはいなかったのかもしれません。
そんな背中が寒くなるような思いが込み上がってくれば、ますます高校時代の文集など読めなくなります。いわば開かずの原典。要は役立たずの実績。とは言え、それが今もあるというだけで十分なんだと思います。

真の高所恐怖症って、高いところにいる人を見るのもダメなのよ。
