この世界のすべての母親に

自分が歳を重ねていけば、親も歳を取ったなあと実感する場面が増えていきます。僕の場合、父親は比較的若めの70歳で逝き、なおつか晩年はともに過ごす機会が少なかったので、爺さんになった感はあまり覚えませんでした。
一方で健在の母親は、はたから見てわかる老化オンパレードです。高血圧症は長年かかりつけだった町の医院で対応できなくなり、脚は加齢が原因の変形性膝関節症で絵に描いたようなOの字となり、耳も遠くなるばかり。そうした老化現象は各部一気にやってこないようなので、僕としてはひとつずつ順番に受け入れていくわけですが、今となってはいちいち動揺しないほどに慣れました。
しかし、親の老化で本格的に参るのは、身体的な面だけではありません。先週の定期的な通院付き添いでも、静かに降参する瞬間に遭遇しました。
「ああいうのを見てると、あんたたちの小さい頃を思い出す」
ああいうのとは、待合室で座っていた僕らの少し前にいた、会計の列に並んだ若い母親と3歳くらいの男の子の姿です。僕の母親にも似たようなシーンの記憶があるんでしょうね。だから列に並んだ親子と自分を重ねわせて、「あんたたちの小さい頃を」などとつぶやくのです。こういう場面も増えてきました。それもまた心の声が漏れやすくなる老人ならではの行動だろうけれど。
そんなつぶやきを聞かされるたび、僕は柔道の押さえ込みが決まって身動きできなくなるような気分になります。10年くらい前には聞かなかった感慨を、何の衒いも臆面もなく口にされると、なぜか恥ずかしくなるのです。僕には母親と並んだ3歳頃の記憶がないし、ましてや目の前の可愛い男の子が自分と重なるはずもないから。
あるいは僕に子供がいたら、母親のつぶやきを自分の親子関係に照らして、同じような感慨に浸ることができるのかもしれません。でも僕には子供がいないから、ただじっと母親の懐かしそうな横顔を眺めることしかできない。その瞬間は、親の老化に対して精神的に追い詰められます。
もとより150センチ以下で、O脚によってさらに縮んだ母親と僕の身長差は30センチ超え。それ以上に長男だって60歳オーバー。そうであってもこの人にとって息子は今もって3歳と大差ない子供なのだと思わされると、僕は静かに押さえ込まれる他になくなります。
今日は母親の90歳の誕生日。日本人女性の平均寿命はおよそ87歳らしいので、すでに人間の限界に挑戦する日々に入っているのでしょう。この世界のすべての母親に感謝の意を表します。

年齢に下りのエレベーター無し。しかし一気に降下されると、耳の奥がキュッとなるな。

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