己を知るのは……

GoogleのAIが教えてくれました。「己を知り、己に克て」はソクラテスの座右の銘。「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」と兵法で説いたのは孫子だと。
しかし臆病で意気地なしの僕は、大昔の偉人がどれほど真理を語ろうとも、客観的な視点に晒される自分を見るのが嫌で仕方ありません。イメージとの落差というか、実はこんなものという事実を突きつけられるのが怖いのです。
そういう情けない性分を明るみに引き釣り出されるのは、ソクラテスや孫氏の時代にはなかった動画。先日の野球の試合で、気を利かせたチームメイトがスマホを稼働させていたらしく、メンバーだけが閲覧できるサイトを伝えてくれました。
怖がりの己を知っているなら見なきゃいい。でも、怖いもの見たさの欲に駆られて再生しちゃうのも己のイヤらしさ。いやもう、3打席目のバッティングは酷かった。理想と大きくかけ離れたスイングなのに、よくバットに当たった上でヒットになるなんて、まさしく珍事連発の草野球ならではですね。
そういうの、見たくないなあ。けれど、あるがまま冷徹に記録された動画の中には、実はこんなものの自分が確かに存在している。そうであるはずがないと信じる、撮影から3日後の自分に容赦なく。理想に近づけたいなら練習する他にないのだけど、理想的な自分を客観的に見た覚えもないんですよね。死ぬまでに見ることができるんだろうか
などと一人落ち込んでいたところに、仕事仲間からメッセージ。ふと見つけた古い記録をいきなり投げてくる彼が送ってきたのは、2007年の写真でした。「トナオさん、若い」だって。そりゃ17年前と言えば45歳だし、そう言うアンタだって今よりずっとスリムな40歳だったじゃないか。
昔の自分を今の自分の目の前で晒されるのも、動揺の元になります。生まれたての赤ん坊が高校生になるほどの歳月を過ごしてもなお、若いだの老けただのと戦っている自分が現在も生きているってのは、何かねぇ。
40代の自分に懐かしさすら感じないということは、現在を生きるのに余裕がないのかもしれません。でも、酷いスイングをする60代の己を直視するのは、それだけで十分にしんどいんです。己を知らぬまま逃げ切る方法はないのかな。ないんだろうなあ。

こちら、恥ずかしながら17年前のオレたち。70.5KBの荒い画像が泣かせます。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA