水が半分入っているコップが目の前にあるとき、「まだ半分もある」とらえるか、「もう半分しかない」と見るか……。
これは、ドラッカーというオーストリア生まれの経済学者が最初に説いたとされる、巷で有名な「コップの水理論」です。同じものを見ても人によって感じ方が違うのは当然。ただし、ポジティブっぽい「まだ・ある」と、ネガティブっぽい「もう・ない」のどちらの感覚に従うかで、そこから先の道筋が変わるという話らしいです。合ってるかな。
そしてまた、見方は常に一定ではなく、時々の状況や体調によって変わるもの。なので、焦りや諦めを誘導しそうな「もう・ない」ように見えたときは、「今日は疲れているかもしれない」と判断する材料にできるという話もあるようです。
では、心身が弱って「もう・ない」と感じてしまったときはどうすればいいか。まずは休息が大事なのだろうけれど、前提となっている見方の枠組みを変えてみる、心理学で言うところのリフレーミングも肝要なんだそうです。つまるところ見え方は印象の問題だから、目の前のコップ半分の水を、別のもっと小さなコップに入れ替えて、「こっちなら満杯じゃん」と安心してみるとか。これも合ってるのかな。
この「まだ・ある」と「もう・ない」は、普通の生活ではどっちでもいいと思います。たとえば、人が注いでくれたから飲まなくちゃいけない気の抜けたビールがコップの半分もあったら、「まだあるのかよ」と辟易しますよね。逆に、高価で美味しいウィスキーが「もうなくなりそう」となれば、急にちびちび飲んだりもします。例がセコいですけれど、そんなふうに場面ごとで感覚と行動を調整すれば、たいがいのことはやり過ごせます。
問題になるのは、非日常的な判断を迫られるときでしょう。誰かを救出に行かねばならないクルマの燃料が底を突きかけているとか? いやいや、そういうシーンは滅多にないし、いざとなったら理論もへったくりもない賭けとなり、誰かを救えるのは映画の主人公だけという、身も蓋もないオチになりそうです。
おそらく大事なのは、ポジであれネガであれ、どう感じるか見極めることですよね。自分の感覚に正直になれば、その後はどうにでも対処できるはずだから。
というややこしい話の締めに登場するのは、大谷翔平選手です。現在行われているプレーオフ地区シリーズで、あと1敗したら終了の局面を迎えたとき、彼は「2連勝すればいいだけ」と言ったらしいのです。2連勝なんて難しいじゃんと考えないんですね。そして実際に昨日の試合に勝った。心の底から、映画の主人公のような気の持ち様ができる人になりたいです。

曇天続きで気が滅入ったので、せめて写真だけでも青空が見たかった、という話です。
