1週間前のここで、「今日10月7日から今年のノーベル賞受賞者の発表が行われるそうです」と書きました。そのときは、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞されるとは思いませんでした。とは言え、受賞しそうな他の個人や団体を思い浮かべていたわけでもないのです。そこはもう、自分の思慮と知識と情報の貧しさを嘆く他にありません。
この団体の受賞を耳にしたとき、まず初めに浮かんだ感情は情けなさでした。約70年に渡って核兵器の非人道性を訴え続けてきた人々を、僕は日本人としてどれくらい知っていたのかと。無論、団体の方たちにしても賞を獲ることが目的ではないにせよ、世界で唯一の被爆国に生まれた僕らが、まず初めに団体の活動を称えるべきではなかったのか? そんな後悔を突きつけられたのが、実のところです。本当に情けない。
その一方で、かなり個人的な感慨も湧きました。今年の1月に広島を訪れた際、ずっと行かねばならないと思い続けてきた平和記念資料館を見学できたこと。それを機に、改めて昭和史や、日本とアメリカの戦争責任に関する本を読み始めたこと。そして、原爆の父と呼ばれた物理学者を主人公にした映画『Oppenheimer』をつい最近になってようやく観たこと。今回の平和賞にそれらのつながりを感じて、やはり偶然は必然の横顔に過ぎないという勝手な結論の精度に独り痺れました。
『Oppenheimer』の監督であるクリストファー・ノーランは、原爆を扱った作品をつくった理由のひとつに、現代の子供たちが抱える危機意識を挙げました。イギリスで生まれ育ったノーラン監督の幼少期は、ヨーロッパでの核戦争に怯えていたそうです。ところが今の子供たちは、それよりも気候変動が関心の的になっていると悟ったらしいんですね。依然として、人間の思惑だけで甚大な被害を招く核の恐怖は拭いきれていないのに。
『Oppenheimer』は、そんな意識に向けた警鐘になったかもしれない。ただ、この映画のヒットが日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞に影響を与えたかはわかりません。でも、受賞団体の方がおっしゃっていた通り、これは始まりに過ぎないのでしょう。きっと、時間をかけたからこそ語れることはある。そんな希望を抱かせてくれた人々に心から感謝します。

歩道のヤナギ。誰に見られることもなく、風にゆらゆら。
