マスク一生?

かつてはインフルエンザが大流行しようとも嫌っていたマスク。少なくとも外出時はつけざるを得なくなって1年半以上が経ちました。今でもできれば外したいと思っています。だから、ウィズコロナの合唱と共に市中でのマスク装着をやめ、もしかしたしたらそのせいで何度も再流行を繰り返している外国の方々を嗤う気にはなりません。顔の半分を覆って人と会うなんて、やっぱり不自然ですからね。
じゃ、自らの流儀を貫いてマスク無しを通せるかというと、そうもいかないのが事実です。何より健康に関わることなので、一個人として多くの他人に迷惑をかけるわけにはいかない。おそらく今の感染症は、そういう協調性もひとつの特効薬になると誰もが信じていて、だから自分の流儀を押し殺してでもマスクをつける。自分も他人も守るために。これは美しい姿と言っていいかもしれません。
一方で個々の協調性は全体のムードを決定づけていき、やがて同調圧力に変容していくことがあります。それが固定してしまうと、いわゆる「空気を読めない人間」を押しつぶすか、弾き出そうという力が生まれる。同調する多勢の暗黙の了解の内に。
そういうのは嫌だなあと思うんですね。けれど気付けば自分も最近は、マスクをせずに人と話すのを怖がるようになっていました。変容した意識が固定化している証拠でしょう。こうなるといつ公然とマスク無しで暮らせる日が来るのか、まるでわからなくなります。まさか一生? そんなことはないと信じたいですが。
例によってぐたぐた言ってますが、薬箱に保管しておいたマスクがなぜか正露丸臭くなっていたところからこの話になりました。あの匂いのきつい胃腸薬を買った覚えがないから不思議でしょうがない。薬箱を新しいものに変えるのは年内に済ます作業のひとつに加わりました。それからマスクのストック補充も。

横浜曇天。景色の色合いが冬だなあと。

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