書くべきことが見つからないときに考えること

自分で勝手に始めたここを除けば、僕の仕事領域において、書くべきことが見つからない状況はほぼありません。依頼には目的があり、その達成のために取材を行い、いわゆるネタをそろえてから執筆作業に取りかかるからです。
ただし、目的達成のルートは様々。つまりどう表現するかは、書き手の自由というか手腕に委ねられるところがあります。そこで重要なのは、どんな取材を行い、そこで得たネタから何をすくい取って仕上げるか。そうして目的を逸らさず、まずは依頼者を納得させた上で、読み手に響くような文章を書き上げようと心掛ける。これが、およそ難しいことから目を背けたい性質なのに、困難だからこそ楽しいと思える、僕が唯一続けられる仕事です。
先日、テレビのドキュメンタリー番組を制作している人の話を聞きました。
「こんな私の話で、番組なんて大そうなものをつくれるんでしょうか。そんなことをおっしゃる方とよく会います」
ふむふむ。僕にも覚えがあります。
「ですが、興味を持ったのはこちらであり、『こんな私の話』の中から何に光を当てるかが我々の責任だと、そう思いながらこの仕事を続けています」
激しく同意! 究極的に、自分を卑下するような『こんな話』など皆無だと思います。どんな人の人生にも、光の当て方次第で物語になり得る逸話があるから。だから僕は、然るべき時間をかけて取材をすれば、どんな人の半生も綴れる自信がある。ただ、それが多くの人の興味を呼べるものになるか、あるいは放送や出版を実現させる予算を獲得できるかは別の話になりますが。
いずれにしても制作者の話は、伝えるべき事柄を見つけてこそプロという、つくり手にとって大事な覚悟を再確認させてくれるものになりました。同時に、光を当て損なっている事柄をないかと危機感を与えてくれる説話にもなりました。
なんて話を書いたのは、今日のここで書くべきことが見つからなかったからです。それでも何か形にしてお出しするのも、僕らがなすべきことです。けれどこういう楽屋落ち的パターンは、そう何度も使えるものじゃないんですよね。ある意味で、自分の首の絞め方を覚えていくのも、プロならではの業だろうと思いますが。

帰りの新幹線に乗るまでに撮った京都駅。何度見ても興味深い構造。

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