一般的に高級とされるヨーロッパ方面の外国車が品のない動きをすると、とても残念な気持ちになります。クルマはいいのになあと。
高級な商品というのは、およそ高額と同義。ゆえに高価なクルマを買えるなら生活レベルも高く、精神面にもゆとりが生じるはず。そうであれば、時間帯によって首都高速の分岐の片側が渋滞するのを知っていながら、あえて列に並ばず、分岐の直前で横入りするようなセコい真似はしないでいただきたい。「こうなること、知らなかったんじゃない?」と助手席から優しいフォローが聞こえてきても、やり口やナンバープレートを見れば確信犯であることは一目瞭然。
そんな行為を迫られると、せこせこ生きている僕は車間を詰め、己のズルさを思い知らせたくなります。とは言え事故は避けたいし、いつまでも譲らないでいる自分が悲しくなるから、最終的には折れる形をとるけれど、なんかちょっと悔しい。高級車なら譲られて当然とか、それが賢い方法とせせら笑っていたなら。
ふと思うのは、ご当人に高級車を運転している自覚があるか否か。地域性にもよるけれど、高価な外国車は目立つじゃないですか、それが下品な運転を披露したら、周囲に「これ見よがしかよ」と不快感を与えるかもしれない。となれば、それはもう高級車ではなく、ただの高価車になり、ブランドイメージも下がる。そうして「クルマはいいのに」と揶揄されていいんですかと、ご当人に問うてみたくなります。
おそらく、ブランドイメージの責任まで個人で負おうなどと考える人は少数なのでしょう。でも、じゃなぜそれを買ったんだろう。そのブランドの価値を自分に融合させたくて手に入れたなら、ブランドの価値を下げる行為は自分までおとしめることにならないのだろうか?
そんな部分に鋭敏な人が多かったら、セコい外車は減るんでしょうね。そうはなかなかならないなあというのが僕の感覚ですが、いかがでしょう。何と言うか、高価=高級とは限らない世界に触れたいです。理想論でしょうが、すっぽんぽんになったときの佇まいで等級を推し量りたいというか。なんてことを口にすれば、「だから貧乏人は面倒臭い」と煙たがられるだろうけれど。

どれだけの人がこの表示を頼りにしているんだろうと思って。
