噂なんてねぇ、という話の続きをします。
自分が受けた直接の印象だけを信じればいい。だから噂はゴミ箱へ。
これは昨日の記事の骨子です。だいぶカッコいいことを口にしましたが、この信条みたいなものは、直接当人と会える仕事に限定されたものだなあと思ったりしたのでした。
些末な例を挙げます。わりとまめに見ているテレビドラマの主役が、ゴシップ報道に晒されるケースがありますよね。ゴシップというのは、およそ興味本位の噂話。相応の事実確認をした上で伝える場合もあれば、匿名を盾にした又聞きを面白可笑しく知らせる場合もある。
いずれにせよ、誰かを貶めようとする意図が透けて見えるので、たまたま目にした者にすれば、そんなこといちいちあげつらわなくてもいいのにという不快感に苛まれます。
であれば、即座にゴミ箱へ。なのだけど、ドラマの主役の生い立ちや現況とあまりに違う噂話を聞かれてしまうと、どうしてもフィルターがかかってしまうんですね。本当はそうなのか? とまでゲスな見方にはならないまでも、物語への没入を邪魔する要素になるというか。これって、ゴシップの的になった当人はもちろんのこと、視聴者にとっても何かしらの権利を侵害されたことにならないのだろうか。
しかし、不特定多数の視聴者が集団訴訟を起こしたという話も聞きません。あらゆるメディアはフィクションが前提で、僕らはそれを承知で楽しんでいるからでしょうか。
でも、噂話は楽しくない。なのに、悪口や意地悪の類ほど広まる速度が速い。これは人間のコミュニケーションの特徴かもしれません。あるいは、危険な情報をいち早く知ることで身を守ろうとする防衛本能の作用なのかな。
この件にひとつの結論を導き出すとすれば、やはりあらゆる噂は、取捨選択することなくゴミ箱に捨てたほうがいいのでしょう。それこそ古いドラマに出てくる学級委員みたいな答えでイヤだけど、正しく確認できないものに振り回されるのは癪に障るし。
にしても、ドラマを素直に観られなくなったのは事実。結局のところ、僕にしたって不確実な情報に影響を受ける、どうしようもない人間ってことなんでしょうね。このわだかまり、どうやって解消したらいいんだろう。

初めて見る神社仏閣でも目を奪われるのは、伝統的な様式が好きだから?
