白馬

今週は一泊で長野県の白馬へ。スキーやスノーボード好きには聖地のような場所ですが、僕は例によって仕事です。都内からクルマで約4時間。なかなか遠いのだけど、そこにしかない景色の素晴らしさに言葉を失ってきました。
上信越道の長野ICを降りた後、国道や県道をたどっておよそ1時間。あくまで僕の感覚では、いきなりそれが現れたように見えました。左手、つまり東側の低めの山々は紅葉や黄葉。右手の西側は、同じく色づいた小さな山々の向こうに、雪をかぶったばかりの白馬連峰。その赤や黄や白や黒の絶妙な混じり具合は、本格的な冬を迎える直前だけ拝めるコントラストなのでしょう。
僕が語るのもおこがましいのだけど、幾筋も切り立った岩の峰を称える白馬連峰は、圧倒的な迫力です。男性的というのは時代的にNGかもしれませんが、鍛えに鍛えた筋肉が角を持つのと似た佇まいを評すれば、近づく者を拒む雄々しさ、ないしは猛々しさを感じずにはいられません。あるいは神がったような荘厳さを覚えたのは、雪に覆いつくされる前だったからでしょうか。
そんな景観を目の当たりにしてにわかに興奮した僕らは、すぐさま県道を外れて撮影体制に。収穫が終わった田園に沿った小径にクルマを止めてみたのだけど、全員が「凄いねぇ」とつぶやく前に数十秒の無言を要しました。
本当にね、心の中に新鮮な風が吹き込むような清々しさに包まれたなあ。で、ふと思ったのですが、ここで暮らす人々は、毎日この景色を見ていて、どう感じるのかなあと。似たような疑問は、たとえば富士山周辺でも沸くわけです。
これは富士吉田市生まれの富士山登山ガイドから聞いた話ですが、地元だと富士山は当たり前の存在すぎて、登る対象にならなかったんだそうです。それからある長野出身者は、事故が起きたら周囲の人の多大な迷惑が及ぶから、とにかく登山だけはするなと親に言われ続けたそうな。となれば、観光客のようには有難く感じないのかもしれない。
それでも、壮大な自然を間近にして育てば何かしらの影響があるはずです。たとえば一度地元を離れると、山や海や川は、故郷のイメージを具体的なものにしてくれるとか。そういう帰るべき場所的な存在のない場所で育った僕には、生涯わからない感覚なのでしょう。
それ以上に問題なのは、こうして白馬に感動しておきながら、ここに来るのが初めてではないことです。前は夏だったから? いやいや、それはあちこち瞬間的に訪れるあまり記憶が定着しない、ヤクザな稼業のもっとも悪しき側面かもしれません。まぁ、毎回新鮮を味わえるとも言えるけれど。

白馬で最初に撮った写真がこちら。真冬用ジャケットを着ていって、本当によかった。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA