スーツが大嫌いでした。
ここで言うスーツとは、ジャケットとパンツが同じ生地で、ジャケットにはテーラードと呼ばれる襟があり、パンツにセンタークリースというプレスラインが入っている、要するにビジネス界隈のユニフォーム的な服を指します。
社会人になった最初の職場では、スーツ着用が義務付けられていました。当時はそれが大人になる印でもあったから、さして疑問を持たずに受け入れることができました。しかし、いろいろあって入った会社の仕事にどうしても馴染めず、毎日スーツを着て通うのが苦痛になっていくのです。
そしてまた別の会社に就職し、そこでもやがて職種的にスーツ着用が求められたのだけど、これまたいろいろあってしんどくなった。本末転倒やお門違いな了解済み。でも、あれこれ悩む日々の灰色の気分を象徴するのがスーツになってしまいました。型にはめられるような苦しさが耐え難かったのでしょう。それさえ脱ぎ捨てれば、オレには別の可能性があるとさえ念じるようになった……。
今から思えば、不遜も甚だしいですよね。まだ何者でもない若造なら、ひとまず型を覚えるべき。でなければ、型破りの意味を知ることもないから。いやまあ、それなりにじたばたしたおかげでドレスコード不要の仕事に就けたので、灰色の日々にも相応の価値はあったと思いますけれど。
無知だったのです。一定のルールに則ったスーツで場に向かうのは、対面する相手に誠意を示すためであること。そしてまた歴史的にも、対等な立場で話す民主的な方策として、特にビジネスシーンで全世界的にスーツの着用が普及したこと。それらの事実は、スーツから離れて久しくなった頃に知りました。二十歳前後で納得していたら、どうだったかな。
今日はスーツを着ます。友人の結婚式に参加するため、ちょうど2年前に仕立てた黒いやつ。今回も友人の披露宴。あえてダブルにしたのは、型で敬意を示す様式を知った大人の、然るべき振舞いと考えたから。何と言うか、そこまでの覚悟を決めないと、遠ざけ続けたスーツに嫌われるんじゃないかと思って。着こなせる自信はありませんが、気を入れて出かけます。

つくったのは2年前だけれど、サイズ的には着られる、はず。
