サボる理由を考えている内は習慣にならない。これはひとつの結論かもしれません。
この7年以内のいつかだと思うのだけど、朝に目が覚めたあとでストレッチと軽いエクササイズをするようになりました。最初はストレッチだけでした。「歳を取ると筋肉増強より関節の柔軟さを優先させたほうがいい」という誰かの声を耳にして、怪我の予防にもそれは正しいと思ったのがきっかけです。
で、股関節と肩関節のストレッチ。股関節は、開脚状態で上体を地面にべったりくっつけたいと始めましたが、いまだ目標に到達せず。いろんなメソッドがあるようで、よさげなものを部分的に取り入れているんですけどねぇ。肩関節は水泳選手がテレビで披露したパターンを真似ました。これも可動域が広がったとは言えませんが、肩こりに悩まされない点に鑑みると、それなりの効能をもたらしてくれているようです。
そんなふうに自分の体のために時間を割くようになってくると、腕や腹も気になり出し、腕立て伏せと腹筋運動なんかもやるようになりました。プランクを採用したのは今年からだったな。わりと全身の筋肉に効くらしく、その分だけなかなかしんどい。そこで音楽を聞きながら、なおかつ歌いながら既定の時間を耐える戦法を編み出しました。
などとまあ、実際どれほどの効果が上がっているのかよくわかりませんが、ひとまず健康は保たれています。ただ、朝早く家を出なければならないときは、止むを得ずすべてをスルーします。お勤めから解放されてほくそ笑む内側の自分に「ああもう、これは仕方ない」と言い訳しながら。
ただ、スルーが2日続くと奇妙にも罪悪感を覚えるんですよね。「これは本当に仕方ないのか?」と第三の自分が顔を出すみたいに。今朝がその2日目。明朝は絶対にやると意気込む正義感に満ちた自分が僕の背中にいます。
何なんだろ、これ。そう言えばランニングの習慣化ができてないことを何度かボヤいていますね。あれもやっぱり今日は走れない理由を考えてしまうところに問題があるのでしょう。でも、ベッドの脇の日課なら天候に左右されないから続くのかな? いずれにせよ、スルーすると気持ち悪さを感じるようになるというのは、習慣を形成する上で不可欠な要素なのかもしれません。いかがでしょう。

正しく整っているのが唯一の魅力かもしれない。
