クリスマスも終わった今日あたり、実はほしいものがあると言っても、サンタさんは耳を貸してくれないでしょう。それでもあえてつぶやきますが、欠片でもいいから音楽の才を僕に授けてくれないかと。
年齢性別国籍あるいはキャリア・ジャンルに関係なく、様々な音楽家の話を聞かせてもらってきた中で、時に「オレと何が違うんだろう?」と首を傾げることがあります。家庭環境があまりに異なれば、そんな疑念は抱きません。代々音楽一家であるとか、はたまた幼い頃から英才教育を受けてきたとか、それはもう生まれ落ちた家の違いですから、妬んだところで何も始まりません。
そうではなく、ごく一般的な家庭に育ち、小学校の高学年か中学校に入ったあたりでロックやポップミュージックに感化され、「あんなふうにステージに立てたら……」という衝動に背中を押されて音楽を始めた、というエピソードを語るプロが、実はかなり多いんですね。
そこで昔の僕が叫ぶのです。「オレと同じじゃん!」と。しかし出発点は酷似していながら、その後にたどった経緯はまるで別物。そうして僕は、音楽に対して憧れるしかないままの人生を過ごしているわけです。
才とは、生まれつき具わっている能力。音楽という身体を伴った表現では、その有無が天と地ほど落差のある結果を招く。じゃ、音楽の才って何だろうと考え続けて、歳を重ねてようやくわかったことがありました。音感やリズム感というよりも、それをどれくらい好きになれるか。いわば執着する才なのだと。これは音楽に限った話ではありません。他の領域で優れた成果を挙げた人も、同じようなエピソードを語る事実を僕はよく知っています。
となれば僕は、音楽が好きだけど、どうしようもなく執着できたわけではなかった。これは認めざるを得ません。それでも何とか今日まで生きてこられたから、決して悪い人生ではないのだけど。
これまた縁あって、玉置浩二さんのライブを観てきました。あの生声を一度は浴びたいと思ってきたけれど、その響きを実際に耳にしながら、それでもまだ実在を疑ってしまうほどの神々しき存在感でした。才の塊ですね。音楽は憧れに留めておくのが正解だと、改めて諭された夜でした。

クリスマスが終わっても消えないってことは、正月兼用の映えなんだろうな。
