「した/しなかった」で結果が大きく変わるとされるのが、後悔。この場合の結果とは、物理的な事柄よりも、精神的な面に作用するものと断じていいのではないでしょうか。たとえば「した」ことで失敗しても、挑戦した自分に対して満足感が得られるとか。あるいは「しなかった」言い訳に苛まれて罪悪感が芽生えるとか、そういう意味合いです。
あれこれもっともらしく言わんとするのは僕の悪い癖。本日のテーマに掲げた「した/しなかった」は、ついに今年も習慣化できなかったランニングからヒントを得ました。
いやいや、ヒントって、ただ単純に怠けた自分が残念だっただけです。スマホのアプリによれば、9月からは月に1回しか走っていなかったそうな。って、アプリに聞かなくてもラン記録を残せていない事実は自分の脳がよく覚えているだろ?
走る時間を取れなかったほど忙しかったわけではありません。ただ、ランニングするなら晴れた午前中という、自分が好きなタイミングを確保し難い時期が続いた。といよりも、確保するための努力を怠り続けたと断じるべきですね。
僕が走る目的は、体力の維持以上に、「オレはまだまだやれる」といった自信を保つため。その意識は歳を重ねるほど高まるのに、ささやかな達成感を得る機会を自ら放棄してきた。そのせいで体が緩んでしまう物理的な現象も、我が身の体たらくを呪う精神的な作用も、つまり後悔のすべては自業自得以外の何ものでもありません。
解決の方法は至ってシンプル。ぐだぐだ言う前に、とにかく走り出せばいい。そんなわけで年の瀬に至り、幾分かの帳消しを願って走ってきました。ペースを落としたのにキツかった。スマホの伝達が後悔を増長させました。「今までで65番目の速さです」だって。「遅さ」と罵ってくれたほうがいいのに。けれど、それが「した」結果でも、「しなかった」ままよりはるかに爽快なんですよね。この気分、冬眠させちゃいけないな。

昼間の影が長い時期が続いております。細身に見えてナイス。
