兄弟を考える日

空で誕生日を言える数少ない一人が、我が弟。で、彼のそれが今日。とは言え、メッセージやプレゼントを贈ることはしません。たぶん過去にもなかったと思います。お祝い事を大事にする家族の話を聞いたりもしますが、僕ら兄弟はそんな感じで来ました。仲がいいというわけでも、格別悪いわけでもないのだけれど。
生まれ年は2年違いながら、弟はいわゆる早生まれなので、学年はひとつ違い。これまた兄弟によって違うだろうけれど、ウチの場合は歳の近さが宿命的なストレスを生んできたんじゃないかと思うのです。
兄と弟であれ同世代なので、何にせよ興味を持つタイミングがいっしょ。同じものを好きになるなら理解し合えるかと言えば、些細な見解の相違が常にケンカの原因になる。
取っ組み合いに発展せずとも、初めてやり込められた記憶があるのはギターでした。兄ですからバイトを始めるのは僕が先。高校1年の夏休みにフルで働いて、生涯初のマイギターを手に入れたわけです。すると翌年、弟も同じようにバイトでギターを購入。しかし、時給も労働時間も変わらないはずなのに、なぜかヤツは僕より高価なモデルを入手。理由をたずねたら、「だから兄貴はちゃんと調べないから」と言われました。
その瞬間、兄と弟の決定的な差異に気付いたのです。弟というのは冒険する兄を見て学ぶ生き物なのだと。そんなずる賢さに打ちのめされた日から、もはや弟には叶わないと諦めました。この関係性は今も続いていると僕は思っています。そのあたりを正しく確認しないのも僕らの特徴ですが。
なんてことを正月が来るたび母親宅で、つまりは僕らが育った家で考えます。奇妙なもんだと思うんですよね。互いに60歳を超えて、まったく別の人生を歩みながらも兄弟であり続けることが。おそらく死んでも関係自体は変わらないんだろうな。冒険家の兄としては先に逝くのが筋なので、彼には喪主を務めてもらおうと思っています。それも約束していなので、「だから」とぼやかれそうだけど。
言いそびれたけれど、ひとまず、おめでとう。

昨日とほぼ同じ方角の、6時間違いの空。

 

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