「そんなもの」や「そういうもの」

少し前、自分の言動は、妬みという粗悪で邪魔な感情から始まってしまうと打ち明けました。他の人の心にも妬みは生じるでしょう。だからこの世に誹謗中傷はなくならない。あるいはネットが普及し、匿名で自由に発信できるようになったのと同時に、誹謗中傷という四字熟語がこの世界から消えのかもしれません。そう思わされるほど、思慮の欠片もない妬みの呪文が飛び交うようになりました。
何でそんなことするんだろうと痛ましく思う実例に、短い期間で二度触れました。いずれも女性アスリートの妊娠と出産に関する話です。それが女性だけにできることであっても、彼女たちは自分の人生のためにアスリートであり続けたいと思いました。そのために努力する姿に、決して少なくない心無き言葉が寄せられたそうです。主旨はおよそ「そんなものではないはず」
「そんなもの」というのは、「そういうもの」の暗示に他なりません。その正体は、母の態度の根源とされる母性なのでしょう。彼女たちは、女性ならではの潜在的な本能について疑問視されました。それが妊娠や出産で自動的に発動するはずだから、他の何よりも母に集中すべき。ましてやアスリートを続けるなんてあり得ないと。
そうして誹謗中傷を受けた二人は、酷く傷ついていました。それでも、だからこそ見えない敵と戦うように頑張ってきたエピソードを聞いて感じたのは、母性に対する疑念です。それこそ「そんなもの」が本能として存在するのだろうか?
感覚として言えるのは、「そんなもの」は不確か過ぎるということ。自分が男だからわかるし、だからこそ反省もしなければならないのだけど、それは男性社会が意図的に生み出した欺瞞だと思います。彼女たちは、妊娠を機にそうしたものに直面しました。そして、それがいびつな慣習である実態を痛感し、あるいは女性自身が母性の呪いに縛られている可能性を痛感したと言いました。
本日書きたいのはジェンダー関連ではなく、「そんなもの」や「そういうもの」に端を発した誹謗中傷なんてどうなんだ? という文句です。僕はどうしようもなく妬む人間ですが、それを言葉にして発すれば、他人だけでなく我が身を落とし込む結末を経験的に知っています。大事なのは、「そんなもの」や「そういうもの」を疑ってかかること。けれどそれすら許さないほどに呪われたものが、この世界には多すぎるのかもしれません。

momental_vimeo_poster_2 オンリーワンのアスリート像を示していくために。~ドキュメンタリー作品を完成させた小野塚彩那さんのMOMENTAL~

よかったらこのドキュメンタリー映画、ご覧になってください。

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