取って置きって

「取って置き」という言葉があります。それはおよそ、然るべきタイミングで持ち出すべき逸品に対して用いられます。たとえば、大事な客を招いたときに供するワインとか。
けれど取って置きが自分だけのためなら、どうでしょう。中でも貧乏性は、取って置こうと決めた時点で呪いがかかり、然るべきタイミングが見つけられなくなるみたいです。挙句の果てに腐らせたり。それは愚行だし、何よりもったいない。やっぱり勿体つけず買ったそばから使ったほうがいいんだなと悔やみながら、恐る恐る箱を開けたのが先月でした。
10年くらい前に買ったハイカットのスニーカー。特徴はオールホワイトですが、無個性と言ってもいいシンプルなデザインなので、手に入れた理由がまるで思い出せません。ただ、真っ白ゆえ時と場所を選んで大事に履こうと決めたのか、箱に入れて下駄箱に仕舞っていました。自分でも不思議なのは、約8年前の引っ越しを経てもなお箱入り保管が続けられたことです。それが呪いなんでしょうね。箱に入れたままの景色が下駄箱でのデフォルトになってしまった。
そうなると、仮に取って置きで始めたことであっても、長い時間を経過する中であらゆる意味が変わっていきます。それはまた、歩くための道具として生まれた靴に対して、使命を果たして天寿を全うする権利を奪い続けている事実にもつながっていきます。
それは遺憾と、政治家みたいな文言を頭に浮かべながら、先の通り、ついに箱を開けてみました。怖かったです。黄ばみが浮いていたり、スニーカーで不可避とされる加水分解が起こって無残な姿になっているんじゃないかと思ったから。
結果から話します。取って置こうなどと考えるのをやめることにしました。たとえば大事な客のために供するものなら、いち早く客を招けばいい。要するに然るべきタイミングは自らつくるべきだと。
初めて箱を開けたときの様子もまるで覚えていないけれど、そのスニーカーは相変わらず真っ白かつ原型を留めていました。待たせてすまなかったと詫びる代わりに、取り出したその日に道具としての使命を果たしてもらったのは言うまでもありません。そして同時に、ソファの下に差し込んだままのもう一足の箱入りオレンジスニーカーを解放せねばと誓いました。自分のための取って置きって、もう何か、しょうもないです。

かつてよく利用したスーパーマーケットの、意外に広い跡地。ここも次が気になる。

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