大事な日付に触れると、毎年同じようなことを書くことになりますが、ご容赦ください。
今日は、1996年に亡くなった司馬遼太郎さんの命日。野に咲く黄色い花がお好きだったことや、ご自身が著した作品の題名にちなんで、「菜の花忌」と呼ばれています。
気付けば29年前。当時の僕は33歳の若造で、司馬さんがこの世を去った72歳を遠く感じていたけれど、今となればわずか10年後。それを考えると、やはり早逝という他にありません。
突然の訃報に触れたとき、ひとりの読者として二つの衝撃を受けました。一つは、司馬さんの中に蓄えられた膨大な知識が彼の岸に渡ってしまうこと。勿体ないと言えば傲慢が過ぎますが、人の死とはそういうことなんだと諭された、それは我が人生でほぼ最初の痛恨経験になりました。
司馬さんが何か新しい小説を書く気配は、古書店街の主人たちが最初につかんだというエピソードがあります。ある特定の時代の資料がごっそり買われることで、「これはもしや?」と噂になったそうな。
そうして収集した資料の中から派生的に発見したと思しき、歴史的には名もなき人物に光を当てた作品もたくさんあります。そんな独自の手法で発掘された物語によって、僕らは心躍る読書体験を楽しませてもらえたわけです。
一方、史実をもとに小説を編む司馬さんのスタイル、いわば司馬史観は、今も批判に晒されているらしいんですね。正しく歴史を分析する専門家にすれば、司馬さんが描き上げた人物の言動に対して「そんなことはあり得ない」といった指摘をせずにいられないのでしょう。
それを否定する気はありません。時代が進むにつれ新しい文献などが見つかれば、より正確な史実がわかるだろうし、その反動で司馬史観の幻想性が如実になっていくかもしれない。
けれど、そんなことはどうでもいいくらい、司馬さんの小説はおもしろい。それが僕にはもっとも尊い。そしてまた、一度は信じた人物像にフィクションが加えられていた事実を知っても、その誤差を起点に歴史を見直そうとする興味が湧くのも大事なのです。
僕が最初に激しく感化されたのは、ご多分に漏れず『竜馬がゆく』でした。その読破をきっかけに、実在の坂本龍馬と彼が生きた時代を調べたおかげで、この国の現代の在り様を自分なりに理解することができました。その感謝は言葉に表せません。
書き忘れている、訃報で受けたもう一つの衝撃を記します。
もう二度と司馬さんの新作を読めなくなること。もっとたくさん教わりたかった。ただ、僕が目にした著作はほんの一部に過ぎないので、これを機にこつこつ読み直していこうと、そういう心持ちにしてくれるのが、毎年この日です。
改めて読むべき著作は、自宅の書棚にもたくさんあるんですよね。
