子供の頃は、行きたくても行けない場所が多すぎました。主な理由その1は、保護者の同伴なしでは遠方への単独行動が許されなかったこと。その2は、金銭面。
その1に関して、徒歩または自転車圏内であれば、わりと自由が利きました。今ほど世の中が物騒ではなかったし、子供は外で遊び回るものとされていた時代だったから。信じられないほど早起きして、朝もやが漂う中、知らない町までチャリンコを漕ぐなんてこと、毎週のようにやっていたんですよね。それで冒険心が満たされていたのでしょう。とは言えガキの脚力なので距離はたかが知れていたし、心から憧れた場所はあまりに遠かった。
何より問題だったのは、金銭面です。自転車では届きがたい場所へ行くには、公共交通機関を利用しなければならなかった。その運賃が、幼い僕にはひねり出せませんでした。父親が運転するクルマを出してもらう手も考えたけれど、日曜しか休みがなかった父親に我がままを切り出すこともできなかったのです。子供ながら移動には相当の費用がかかることも、もやぁっと知っていたから。
そうして諦めたところがいくつかあります。時系列を逆にたどると、僕が中学2年生のときに日本で初めて開催されたF1世界選手権。それが見たくて静岡県の富士スピードウェイに行きたかった。大人になってからは何度も訪れていますが、14歳の少年には伊豆の山々を越える術がなかったのです。
それから、小学6年生の授業中、図書室の写真集で釘付けになったオーストラリアのウルル。これは、行きたいというより、勝手に呼ばれた感じがしたんですよね。それにあの頃の海外は、テレビや本で見る異世界だったので、自分の足で立てるなんて夢にも思わなかった。けれどオーストラリアも、それから約30年後に縁あって行けてしまいました。その点だけでも僕の人生は、リベンジを果たせた幸運に満ちていると断言できます。
ただ、8歳になる1970年に行われた大阪万博だけは、いまだに未練が残っています。首都圏育ちの少年は、大阪がどこにあるのか知らなかったし、関西弁を耳にしたこともなかった。ただ、明るい未来の形がそこにあると喧伝された世紀の祭典を体験したかった。その希望がついに叶わなかったことをトラウマとは呼ばないまでも、ずっと心に引っ掛かっているのは事実です。今となっては大阪も近く感じるのに。
この話、明日も続けていいですか?

あの雲の切れ間の下から空を見上げてみたいけれど、どれくらい遠いんだろう。
