太陽の塔

そんなわけで先週の土曜日、大阪府吹田市にある万博記念公園に行ってきました。言うまでもなく目的は、太陽の塔をこの目で見るため。
新大阪駅で地下鉄御堂筋線に乗り換え、千里中央駅で大阪モノレールに。その時点で子供の感覚に支配されていたんでしょうね。やがて目に入るはずの対象を一切見逃すまいと、気付いたら大きな窓があるドア付近に張り付いていました。そして、その名も万博記念公園駅が近づくと、ゆっくり静かに頭頂部が見えてくるのです。
駅を降りて万博記念公園の入場ゲートまでは、高速道路をまたぐ長い歩道を歩いていかねばなりません。けれど、その距離がよかった。少しずつ近寄るもどかしさを、あえてゆっくり楽しむことができたから。期待に全身を支配されてしまう子供時代なら、親の手を振りほどいて一目散で駆け出していたかもしれない。
入場ゲートを越えると、それは目の前に立ちはだかります。万博開催時は、丹下健三さんが設計した大屋根に半分以上覆われていました。けれど現在は、何にも脅かされず全身を晒しています。
さて、どう感じたか?
ただただ、ひたすら、どこまでもカッコよかった。それこそ子供じみた感想ですが、他に言いようがありません。
実は、目の当たりにした瞬間、ややこしい感慨を抱くんじゃないかと思ったのです。8歳になる年に行けなかった万博への恨みや執念から芽生えた復讐心が爆発するとか、あるいは小学2年生だった自分に自慢したくなる歪んだ優越感が沸き上がるとか、そんなことを予想しました。
それから、何の因果か、今年に入って太陽の塔が気になり出したところで、アマゾンプライムの中で『太陽の塔』というドキュメンタリー映画を見つけてしまったんですね。その中で語られた、この芸術作品を手掛けた岡本太郎さんの理念や信念に触れて、様々な理屈が頭の中で折り重ねってもいたのです。
けれど、すべてが吹き飛びました。なぜなら、比類なき存在感に容赦なく打ちのめされたから。その止めどない力は、万博が開催された1970年から発揮されていたはずだけど、それから55年を経ても衰えないどころか、時間が経過した分だけ増幅しているように見えるんですよね。これはあくまで主観ですが。
少し落ち着いたところでよくよく感心したのは、今も整然とそこにある事実です。近所の人は見慣れているのかもしれませんが、あれだけの異形で異様なものが普通にあるというのは、別の言い方をすれば普通になっていることが、極めて異常なことではないかと。
世紀の祭典と呼ばれた万博で、太陽の塔だけが忽然と残っている。いやもう、カッコいいというか、これこそがカッコいいの具現なのだと思い知らされました。強がりでもなんでもなく、この歳で行けてよかったです。

まずは入場ゲートを抜けて目に飛び込んでくる、真南に向いた正面の姿から。

このアングルもたまらん! 高さ70メートルなので首が痛くなったけど。

もっともカッコよかったのは、過去を象徴する「黒い太陽」が描かれた背面。腕がこんなに反っているのは、実物で初めて知りました。

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