感心すべきではないのだろうけど、ニュースというのはなくならないものだと思います。それは要するに、伝えるべき事件や事故や絶えないからですが、伝えただけですべてが解決するはずはなく、伝えられなくなったから事件や事故が終わったわけでもありません。なのに僕らは忘れていく。新たなニュースが覆いかぶさってくるから。
たとえば、ついこの前の2月末に起きた大船渡の山林火災も、ようやく降った雨で鎮圧が叶った後、報道の機会は一気に減りました。メディアの態度を非難するつもりはありません。それは伝えるべき峠を越えたという判断だろうし、であれば他で起きた別のニュースを扱わなければならないでしょう。けれど家を焼かれ、新たな住まいを探している方々にすれば、山火事はまだちっとも終わっていないと思うのです。
そして、クルマのハンドルを握るたび、またはハンドルを握らなければ思い出せなくなってしまったのが、1月28日に埼玉県八潮市で起きた道路陥没事故です。これもニュースのメインストリームから外れてしまいました。しかし、穴に落ちたトラック運転手はいまだ救出されていません。現在はどんな様子か探ってみたら、巨大工事現場のような映像を見つけました。被害がこれ以上広がらない措置を講じながら、運転手を救い出す方法も引き続き検討中だそうです。
そうして事故発生から時間が経つと、ああすればよかったというような、対応に関する非難の声が挙がるようになる。言わずに置けないのかもしれません。あるいは別の場所で起きた場合の教訓にせよという善意なのかもしれない。でも、目を通すのはしんどいですね。今じゃなくても、という逆非難の気持ちが芽生えるから。
おそらくニュースには、聞いた者が簡単に忘れてしまう、その向こうがあるんですよね。そうして今日もまた、方々に広がる向こうをつくる新たなニュースが起きるのでしょう。なんて考えると、自分だけがいつまでもこっち側にいられるとは限らないだろうと、いささか落ち着かない気分になります。

背面に描かれたのは、過去を象徴する「黒い太陽」。鼻や口を思しき造形があるので、これも顔なのでしょう。しかし、後姿がこんなにカッコよかったとは……。
